古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 東都神社御朱印集 > 千代田区

古今御朱印研究室

東都神社御朱印集

靖國神社
やすくにじんじゃ

三の鳥居と拝殿

靖国神社(やすくにじんじゃ)
御祭神 嘉永6年以降の護国英霊246万6千余柱
鎮座地 東京都千代田区九段北三丁目1−1 (マピオン/googleマップ
社格等 旧別格官幣社 勅祭社 (単立神社)

靖国神社の御由緒

明治元年(1868)6月2日、征東大総督・有栖川宮熾仁〔ありすがわのみや たるひと〕親王により、江戸城内において戊申戦役における戦没者の慰霊祭が行われた。翌年6月27日、大村益次郎らが中心となって東京招魂社〔とうきょう しょうこんしゃ〕が設立され、九段坂上の現社地に仮本殿が竣工した。これをもって創祀とする。

同12年(1879)、明治天皇の聖慮により靖國神社と改称され、別格官幣社に列した。以来、嘉永6年(1853)以後に犠牲となった維新の志士をはじめ、戊申戦役から大東亜戦争に至る国事殉難者が順次合祀された。

第二次大戦中の戦没者の合祀については、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」と「恩給法」の該当者ということが基準になっている。そのため、軍人・軍属だけではなく、徴用された船舶の乗組員、空襲警報下で避難誘導・消火作業等に当たっていた消防団員、国民義勇軍の団員なども含まれる。また、樺太・真岡で殉職した女子電話交換手や、米軍によって撃沈された対馬丸で疎開中だった沖縄の小学生も祀られている。

第二次大戦後、GHQは日本の精神的支柱としての靖国神社の存在を問題視し、その焼却を計画した。しかし、マッカーサー元帥の諮問を受けたローマ教皇庁の駐日代表でブルーノ・ビッター神父は、「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである」としてこれに反対した。マッカーサーがこれを受け入れたことにより、靖国神社の焼却計画は中止された。

しばしば日本を貶めることを生き甲斐や生業にしたり、平和を名目として自らの攻撃性・闘争本能を正当化しようとする偽善的宗教者・宗教団体や左翼活動家の攻撃の対象とされているが、心ある人々の崇敬が絶えるはことなく、近年は参拝者も増えている。(さらに詳しく

靖国神社大鳥居 靖国神社参道
大鳥居 参道
大村益次郎像 靖国神社神門
大村益次郎像 神門
鎮霊社 元宮
鎮霊社 元宮

◆メモ
初めて参拝したのは平成5年だったと記憶している。当時はまだ、靖國神社に参拝するなどというと、ちょっと変わった人というような風潮があった。小泉元首相の参拝がきっかけだったと思うが、広く一般の人が靖國神社に関心を持ち、心ある老若男女が護国の英霊に感謝を捧げるために参拝するようになった。

靖国神社の御朱印

靖国神社の御朱印(平成16年拝受) 靖国神社の御朱印(昭和26年拝受)

左は平成16年、右は平成26年に拝受したもの。朱印・墨書ともに「靖国神社」で、変更はない。

昔の御朱印

靖国神社の昔の御朱印(昭和8年頃) 靖国神社の昔の御朱印(昭和14年)
昭和8年頃 昭和14年

左は昭和8年頃、右は昭和14年のもの。印は同じもので「靖國神社」。現在のものと同じような書体だが、それぞれの字が少しずつ違っている。昭和17年発行の『惟神の礎』にも、この印が掲載されている。昭和14年のものには参拝記念の日付入りのスタンプが押されている。

もどる

靖国神社の概要

名称 靖国神社
御祭神 嘉永6年以降の護国英霊246万6千余柱
旧称 東京招魂社
鎮座地 東京都千代田区九段北三丁目1−1
創建年代 明治2年(1869)
社格等 別格官幣社 勅祭社 (単立神社)
例祭 (春)4月21〜23日
(秋)10月17〜19日
神事・行事等 7月13〜16日/みたま祭り
巡拝 東京五社
公式サイト http://www.yasukuni.or.jp/

もどる


2006.01.29
更新:2014.10.01
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2014 Murakami Tetsuki. All rights reserved.