天保11年(1840)10月から11月(新暦の11月から12月)にかけて四国八十八ヶ所を巡拝した納経帳。京都の御室御所(仁和寺)と東寺を参拝した後、たぶん大坂から丸亀に渡り、78番道場寺(郷照寺)から順打ちで讃岐、阿波、土佐、伊予と廻り、77番道隆寺で打ち終えている。タイトルは『四國八十八ヶ処霊場 納経』。京都もしくはその近辺の人(たぶん男性)であろう。表紙にある二つの菊の御紋の印は御室御所と東寺の印ではないかと思われる。
真念の『四国遍路道指南』には、関西からのルートとして徳島に渡るルートと丸亀に渡るルートが記されており、丸亀に渡る場合は道場寺(郷照寺)から打ち始めるのがよいとしている。この順拝もそれに従ったもののようだ。丸亀は金毘羅詣での上陸地でもあるので、比較的船便が多かったのだろうか。
回り始めた日は10月としかわからない。日付がわかるのは根香寺からで、判読しづらいが10月19日(新暦11月12日)のように見える。はっきりわかるのは大窪寺で10月21日(11月14日)の参拝。道隆寺で打ち終えたのは11月28日(12月21日)のようである。
冒頭に御室御所(仁和寺)と東寺の納経印がある。この2ヶ寺に神光院を加えて京の三弘法という。三弘法が成立したのは江戸時代の中期で、毎月21日の弘法大師の縁日に3ヶ寺を巡拝する。京都の人は、四国八十八ヶ所巡拝の前に三弘法に参拝して、道中の無事を祈願したという。冒頭の御室御所と東寺の印はその風習によるものであろうか。それにしては神光院の印がないのが不思議だが、この頃は「三ヶ所すべてを回る」というほど厳密に決まっていたわけではないのかもしれない。
本札所はすべて参拝している。番外札所は白鳥大神宮(白鳥神社)、柳水庵、小村大師庵(札始大師堂)、微笑庵(臼井御来迎)、正善寺(生木地蔵)、65番奥之院仙龍寺の6ヶ所である。