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天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳
御室御所 (大内山 仁和寺)
【略縁起】
仁和2年(886)光孝天皇が大内山の麓に建立を発願した。翌年、光孝天皇が崩御されると、宇多天皇がその遺志を継ぎ、仁和4年(888)に完成した。当初は西山御願寺と称したが、年号に因んで仁和寺と改められた。宇多天皇は醍醐天皇に譲位した後、出家して法王となり、仁和寺第一世となった。延喜4年、境内に御室を造営して移り住んだことから、御室御所の名で呼ばれるようになる。
宇多法皇以来、皇室出身者が歴代門跡を務め、門跡寺院として最高の格式を誇った。また、第五世覚性法親王が全国の寺院・僧尼を統括する総法務に任じられて以来、仁和寺門跡が総法務を務めるようになり、総法務宮を称した。
しかし応仁の乱の兵火で一山ほとんど焼失してしまう。再興は江戸時代に入ってからで、徳川幕府により伽藍が再建される。折しも御所の造替と重なったことにより、紫宸殿(金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建物が下賜された。正保3年(1646)再建が完了した。
文政10年(1827)には御室八十八ヶ所が設けられている。また、御影堂の弘法大師は東寺・神光院とともに京の三弘法の一で、毎月21日には三弘法詣が行われる。京都の人は、四国八十八ヶ所を巡拝する前に、道中の無事を祈願して三弘法に参拝する風習があるという。
【納経】
墨書は「日本総法務宮 御室御所伽藍」。中央上の印は十六八重菊の御紋。下の印は「忎和寺」。「忎(上が「千」、下が「心」)」は「仁」の古字。
【御本尊】
阿弥陀如来
【所在地】
山城国葛野郡御室門前村(京都市右京区御室大内)
2013.10.06
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