中央の御朱印は「蒲生神社」、右上は前方後円墳に「寛政の三奇人 蒲生君平」。
古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 諸国神社御朱印集 > 栃木県
蒲生神社 (がもうじんじゃ) | |
---|---|
御祭神 | 蒲生君平先生〔がもうくんぺい せんせい〕 |
鎮座地 | 栃木県宇都宮市塙田五丁目1−19 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 大正15年(1926) |
社格等 | 旧県社 |
由緒 | 高山彦九郎・林子平とともに寛政の三奇人に数えられる江戸時代後期の儒学者・蒲生君平を祀る。 蒲生君平は明和5年(1768)下野国宇都宮の町人の家に生まれた。幼少の頃、祖母より蒲生氏郷の庶流に連なることを教えられて発憤し、先祖に恥じないよう学問で身を立てることを決意した。また、これに因んで、自ら姓を蒲生に改めている。 鹿沼の儒学者・鈴木石橋に学び、さらに藤田幽谷に会い、水戸学の影響を受ける。高山彦九郎に私淑し、彼を追って陸奥へ旅したこともある。その帰途、林子平に面会したという。 歴代天皇陵の荒廃を嘆き、畿内諸国の山陵を調査、さらに佐渡島の順徳陵まで踏査し、『山陵志』をまとめる。この中で初めて古墳の形状に「前方後円」の語を用いたことから、前方後円墳の名付け親とされる。その他、『職官志』『不恤緯』等の著作がある。 文化10年(1813)江戸で病没。貧困の中で勉励刻苦と忠誠義烈の人生を送り、尊皇運動に大きな影響を与えた。 明治2年(1869)明治天皇の勅命により、宇都宮藩知事・戸田忠友が勅旌碑を建立。同4年(1871)には正四位が贈られた。 大正元年(1912)神社創立の議が起こり、栃木県民挙げての賛同により同15年(1926)本殿竣工。昭和15年(1940)県社に昇格した。 |
例祭 | 7月5日 |
巡拝 | 夢福神めぐり |
公式サイト | http://www.gamoujinja.com/ |
メモ | 宇都宮中心部の少し北、八幡山公園の入り口に鎮座する。境内には初代横綱とされる明石志賀之助の碑などもある。 |
参道 | 拝殿 |
中央の御朱印は「蒲生神社」、右上は前方後円墳に「寛政の三奇人 蒲生君平」。
2010.03.31
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.