中央の御朱印は神代文字(アヒルクサ文字)で「タカハシ ヲヤシロ(高椅御社)」とある。
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高椅神社 (たかはしじんじゃ) | |
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御祭神 | 磐鹿六雁命〔いわかむつかりのみこと〕 国常立尊〔くにのとこたちのみこと〕 天鏡尊〔あめのかがみのみこと〕 天萬尊〔あめのよろづのみこと〕 〈合祀〉 木花咲耶姫命〔このはなさくやひめのみこと〕 経津主命〔ふつぬしのみこと〕 高龗神〔たかおかみのかみ〕 火産霊命〔ほむすびのみこと〕 豊受比売神〔とようけひめのかみ〕 |
旧称・通称 | 鯉の明神 |
鎮座地 | 栃木県小山市高椅702 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 景行天皇41年(111) |
社格等 | 式内社 旧県社 |
由緒 | 社伝によれば、日本武尊が東征の砌、当社の北西約1kmにある白旗丘に御旗を立て、国常立尊・天鏡尊・天萬尊を勧請して戦勝を祈願したことに始まるという。天武天皇13年(684)当地を支配していた高橋朝臣が現社地に社を建て、氏祖神・磐鹿六雁命を合わせ祀り、高椅神社と称したとされる。 磐鹿六雁命は四道将軍の一人・大彦命の孫で、景行天皇の東国御巡幸に供奉し、安房国の浮島宮において堅魚と白蛤で膾を作って献上した。天皇はその料理の技を非常に賞し、膳大伴部の姓を与えたと『日本書紀』にある。これにより、料理の祖神、醸造の神、台所の神とされている。 式内社としては当社と千葉県南房総市の高家神社に祀られており、当社はその本宗として、下呂温泉や飛騨高山などに御分霊が勧請されている。 当社の社伝によれば、磐鹿六雁命は景行天皇に随行して当地まで来たが、老齢のため、許しを得てこの地に留まり、子孫は豪族として当地方を領有したという。 長元2年(1092)境内で井戸を掘ったところ、大きな鯉が出て来た。これを奇瑞として神主が都に上り、ことの次第を奏上したところ、後一条天皇より「日本一社禁鯉宮」の勅額を賜った。以来、氏子は鯉を食べず、また鯉の絵のついた器物を使用しないという風習が今に続き、鯉のぼりを立てないという。この由緒により、鯉の明神さまと通称される。 武家時代においては結城氏の崇敬篤かった。結城氏を継いだ結城(松平)秀康は、越前に国替えになった後も代参を欠かさず、その伝統は明治維新に至るまで続けられたという。 明治5年(1872)郷社に列格、同10年(1877)県社に昇格。 県指定文化財の楼門は、明和7年(1770)結城藩主水野氏の寄進によって再建されたもので、16年の歳月とのべ3909人の人夫により完成したものである。 |
例祭 | 10月9日(太々神楽奉納) |
神事・行事 | 1月10日/朝的(あさまど)祭 4月3日/春季例祭 7月31日/大祓式(茅の輪くぐり神事) 12月31日/大祓式・古神札焚上祭 |
文化財 | 〈県有形文化財〉楼門 |
公式サイト | http://park12.wakwak.com/~jinja/(リンク切れ) |
メモ | JR結城駅の北約5kmほどのところに鎮座する。小山市内ではあるが、旧下総国に属し、距離的には小山駅より結城駅のほうが近い。 御朱印は宮司様宅にていただける。ほとんど下調べもせずに参拝したのだが、幸いなことにちょうど境内の社務所と地域の会館を兼ねているらしい建物で地元の集まりがあったようで、宮司さんの自宅を教えてもらい、無事に御朱印をいただくことができた。 当社の御朱印は神代文字(アヒルクサ文字)で「タカハシ ヲヤシロ(高椅御社)」と書かれた珍しいものである。参拝日は平成18年となっているが、19年の間違い。 |
楼門 | 神楽殿 |
境内社 | 境内社 |
包丁塚 | 本殿 |
中央の御朱印は神代文字(アヒルクサ文字)で「タカハシ ヲヤシロ(高椅御社)」とある。
2012.03.20
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