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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

高崎神社
たかさきじんじゃ

高崎神社

高崎神社 (たかさきじんじゃ)
御祭神 伊弉冉命〔いざなみのみこと〕
速玉男命〔はやたまのおのみこと〕
事解男命〔ことさかのおのみこと〕
大穴牟遅命〔おおなむちのみこと〕
豊木入日子命〔とよきいりひこのみこと〕
建御名方神〔たけみなかたのかみ〕
建速須佐之男命〔たけはやすさのおのみこと〕
宇気母智神〔うけもちのかみ〕
大日孁命〔おおひるめのみこと〕
豊宇気毘売神〔とようけひめのかみ〕
宇迦之御魂命〔うかのみたまのみこと〕
猿田彦命〔さるたひことのみこと〕
大山祇命〔おおやまづみのみこと〕
苔虫神〔こけむしのかみ〕
菅原道真〔すがわらのみちざね〕
迦具土命〔かぐつちのみこと〕
祭神不詳一座
旧称 熊野神社
鎮座地 群馬県高崎市赤坂町94 (地図表示:マピオン)
創建年代 寛元元年(1243)
社格等 旧県社
由緒 元は熊野神社と称し、伊弉冉命・速玉男命・事解男命を祀っていた。寛元元年(1243)和田城主・和田小太郎正信が相模国三浦より城内榎森に勧請し、守護神として祀ったという。
慶長3年(1598)箕輪城主・井伊直政は徳川家康の命により、和田城の跡に高崎城を築き、箕輪城より移った。これに際して現社地に遷座し、高崎の総鎮守とされた。
明治40年(1907)以降、境内末社12社及び高崎市内17町に鎮座する36社を順次合祀し、大正14年(1925)県社に昇格した。
境内に鎮座する美保大国神社は、昭和初期の大不況下、商工業の信仰を願う高崎市内の商工業者が、昭和4年(1929)島根県の美保神社より事代主神の御分霊を迎え、既に祀られていた大国主神とともに奉斎式を行ったことに始まる。11月の例大祭には多くの参拝者が集まるという。
例祭 10月18・19日(秋季例大祭)
神事・行事 4月2・3日/春季例大祭
11月第3土・日曜日/ゑびす講市
12月31日/お焚き上げ
公式サイト http://www.takasakijinja.or.jp/
メモ 高崎駅の北西1.5kmほどの市街地に鎮座する。境内はアスファルトで舗装され、戦後の改築らしいコンクリート造の社殿とともに少々殺風景な印象。神明造の拝殿の背後に、妻入向拝付きの大社造りのような内拝殿と本殿が建つ。拝殿前には冠木門。その前にある手水舎は昔からのもののようで、瓦葺き千鳥破風の立派なものである。
美保大国神社 五社稲荷大神
美保大国神社 五社稲荷神社
道祖社 手水舎
道祖社 手水舎
拝殿 内拝殿
拝殿 内拝殿
高崎神社の御朱印

中央の墨書・朱印はともに「ア神社」。

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2011.11.09
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