左は本社、右は奥宮の御朱印。
本社の御朱印は、中央の朱印が「寶登山神社」、右上は「秩父長瀞」、右下はひょうたんの形を模した「寶登山」、左下は「寶登山神社々務所印」。
奥宮の御朱印は、中央上の朱印が「宝登山神社 奥宮 火災盗難除」、右上が「寶登山奥宮」、中央下のスタンプには「寶登山神社御鎮座千八百七拾年祭 埼玉県長瀞」とある。
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宝登山神社 (ほどさんじんじゃ) | |
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御祭神 | 神日本磐余彦尊〔かんやまといわれひこのみこと〕 大山祇神〔おおやまづみのかみ〕 火産霊神〔ほむすびのかみ〕 |
旧称 | 宝登山大権現 |
鎮座地 | 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 伝・景行天皇40年(110) |
社格等 | 旧県社 別表神社 |
由緒 | 標高497mの宝登山の東麓に本社が、山頂に奥宮が鎮座する。 社伝によれば、日本武尊は東征の帰途、宝登山の麓に至った。玉の泉で禊ぎをした後、宝登山に登った。その途中、山火事のために進退窮まったが、白や黒の巨犬が多数現れて火を消し止めた。山頂に着いた日本武尊は、大和の神武天皇陵に向かって戦勝の奉告をするとともに、山の名を「火止山〔ほどやま〕」と名付け、神日本磐余彦尊(神武天皇)・大山祇神・火産霊神を祀った。これが宝登山神社の創祀であるという。 弘仁年間(810〜824)、弘法大師が当地で修行をしているとき、山頂が金色に輝き、麓から宝珠が湧き出て、光り輝きながら山上に飛翔するという奇瑞があり、これに因んで「火止山」を「宝登山」に改めたという。 永久元年(1113)空円が玉泉寺を開き、以来、玉泉寺の住職が別当として宝登山大権現の祭祀を司った。因みに、玉泉寺の寺号も日本武尊が禊ぎをした玉の泉(みそぎの泉)に因むという。火伏せの神徳で信仰を集め、関東一円に講を有する。明治元年(1868)神仏分離により玉泉寺と分離する。 現在の社殿は玉泉寺46世・栄乗(後の宝登山神社初代神職・小菅是道)の30年余に及ぶ尽力により、明治7年(1874)に竣工したものである。 |
例祭 | 4月3日 |
神事・行事 | 1月1日〜15日/新年開運祈願祭 2月節分/節分追儺祭 3月1日/産業祈年祭 5月2日/奥宮祭(つつじ祭) 7月20日/八坂大祭(お祇園) 8月15日/船玉祭 |
公式サイト | http://www.hodosan-jinja.or.jp/ |
メモ | 2月のある日、西武鉄道の宝登山の蝋梅のポスターを見て、参拝を思い立った。雪の残る寒い日であったが、参拝客(というか、多くは蝋梅目当ての観光客)は結構多かった。 本社を参拝した後、ロープウェイを使って山頂へ。周辺は黄色い蝋梅がほぼ満開で、よい香りを漂わせていた。奥宮を参拝した後、ゆっくりと花を楽しんで山を下りた。 参拝は平成20年だが、平成22年が御鎮座1900年で、その記念事業として社殿の修復が行われた模様。参拝時にはほとんど色が剥げていた社殿の彫刻も、美しく蘇ったようである。 |
鳥居 | 神楽殿 |
宝玉稲荷神社 | 藤谷淵神社 |
日本武尊社 | みそぎの泉(玉の泉) |
本殿 | 奥宮 |
奥宮 |
左は本社、右は奥宮の御朱印。
本社の御朱印は、中央の朱印が「寶登山神社」、右上は「秩父長瀞」、右下はひょうたんの形を模した「寶登山」、左下は「寶登山神社々務所印」。
奥宮の御朱印は、中央上の朱印が「宝登山神社 奥宮 火災盗難除」、右上が「寶登山奥宮」、中央下のスタンプには「寶登山神社御鎮座千八百七拾年祭 埼玉県長瀞」とある。
2012.02.22
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