朱印、墨書ともに「高麗神社」。
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神 門
高麗神社 (こまじんじゃ) | |
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御祭神 | 高麗王若光〔こまのこきし じゃっこう〕 〈配祀〉 武内宿禰〔たけしうちのすくね〕 猿田彦命〔さるたひこのみこと〕 〈合祀〉 火産霊神〔ほむすびのかみ〕 大山祇神〔おおやまづみのかみ〕 |
旧称 | 白髭明神 高麗明神 |
鎮座地 | 埼玉県日高市新堀833 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 奈良時代 |
社格等 | 旧県社 別表神社 |
由緒 | 御祭神・高麗王若光は、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗から日本に逃れてきた王族と思われる。『続日本紀』に、大宝3年(703) 従五位下高麗若光に王姓を賜るとある。また霊亀2年(716)駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の高麗人(高句麗人)1799人を武蔵に移して高麗郡を建てたという記事があるが、社伝によれば、この時、高麗王若光がその首長になったとされ、当社の宮司は代々その直系の子孫が世襲しているという。 当社の創建については幾つかの説がある。 高麗神社においては、高麗王若光が亡くなった後、郡民がその遺徳を偲び、その霊を祀って高麗明神と称したことを創祀とするという。晩年の若光は白い髭を垂らし、白髭様と呼ばれていたことから白髭明神とも呼ばれ、武蔵国内に散在する白髭神社の総本社であるともする。 また一説では、高麗郡の首長となった若光が、郡内の繁栄を祈願して、日頃信仰する武内宿禰と猿田彦命を祀り、白髭明神と称したという。また、若光の死後、郡民が若光を敬慕して霊廟に祀り、高麗明神と呼ばれた。これが後に合祀されて高麗大明神と称するようになったという。 隣接する聖天院は、若光の侍念僧である勝楽、その弟子で若光の第三子・聖雲により、若光の菩提を弔うために、その念持仏だった大聖歓喜天を本尊として創建されたと伝えられる。境内には若光の墓とされる石塔がある。 近代、浜口雄幸・若槻礼次郎・斎藤実・小磯国昭・幣原喜重郎・鳩山一郎といった人々が、当社を参拝した後に内閣総理大臣に就任していることから、「出世明神」として信仰を集めるようになったそうだ。近年においては在日韓国・朝鮮人の氏神的存在とされ、参詣者も多いとのことである。 |
例祭 | 10月19日 |
神事・行事 | 4月第2日曜日/さくらまつり 5月16日/高麗郡建郡記念神恩感謝祭 |
文化財 | 〈重要文化財〉高麗家住宅 大般若経 〈県有形文化財〉本殿 |
公式サイト | http://www.komajinja.or.jp/ |
メモ | 夏の夕刻、小雨が降ったり止んだりする中での参拝。駐車場には韓国式の将軍標があり、韓国・朝鮮との関わりを前面に押し出している印象である。ただし、これは古いものではなく、平成4年(1992)大韓民国民団埼玉県本部によって奉納されたものとのこと。 社殿の背後にある高麗家住宅は、当社の社家である高麗家の屋敷で、江戸時代初期の民家として国の重要文化財に指定されている。 ゆっくり散策しながら遙か昔に想像の翼を広げているうちに時間が過ぎてしまい、聖天院に着いたときには拝観時間が終了してしまっていた。 |
大鳥居 | 将軍標 |
神楽殿 | 高麗家住宅 |
拝殿 | 本殿(覆殿) |
朱印、墨書ともに「高麗神社」。
2009.01.25
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