中央の朱印は「中氷川神社」、右は「武蔵國三氷川中乃社」「延喜式内祈年国幣」。
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中氷川神社 (なかひかわじんじゃ) | |
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御祭神 | 素戔嗚尊〔すさのおのみこと〕 稲田姫命〔いなだひめのみこと〕 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 〈合祀〉 七社大神(大山咋命・建御名方命・奥津姫命・大物主命・素盞嗚命・下照姫命・牛御子命)…山口貯水池の湖底に沈んだ旧勝楽寺村の七社神社の御祭神 |
鎮座地 | 埼玉県所沢市山口1850 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・崇神天皇の御代(B.C.97〜B.C.29) |
社格等 | 式内論社 旧県社 |
由緒 | 『延喜式神名帳』所載の入間郡中氷川神社の論社である(他に同市内三ヶ島の中氷川神社を当てる説もある)。 当社と大宮の氷川神社、西多摩郡奥多摩町の奥氷川神社はほぼ一直線上に鎮座しており、合わせて武蔵国三氷川と総称することがある。一説によれば、大宮の氷川神社が本社、当社が中社、奥氷川神社が奥社という関係にあるとされ、当社は大宮の氷川神社と奥氷川神社のほぼ中間に鎮座するところから「中氷川」と称するようになったのだという。 社伝によれば崇神天皇の御代(B.C.97〜B.C.29)の創建。入間郡から多摩郡にかけての近隣92ヶ村の総鎮守とされ、また、山口城主で武蔵七党の一つ・村山党の流れを汲む山口氏の崇敬を受けたという。江戸時代には徳川幕府より朱印領4石三斗を寄せられた。 昭和4年(1929)山口貯水池の湖底に沈んだ旧勝楽寺村の七社神社を合祀した。 昭和6年(1931)から13年(1938)にかけて造営されたという本殿は、関東では珍しい大社造。 |
例祭 | 4月第一日曜日 |
神事・行事 | 10月体育の日/秋大祭 11月中旬/菊祭り |
公式サイト | http://www.geocities.jp/ashishibire/ |
メモ | 西武狭山線の下山口駅から1km余り西武球場方面に歩くと、「縣社中氷川神社」という社号標が建っている。そこから参道を登ると境内である。もとは周辺一帯が森だったのだろうという感じの地形だが、現在は住宅地として開発されているようだ。 由緒書には、旧本殿は元禄2年(1689)造営の春日造と書いている。参拝時には気づかなかったのだが、後で写真を見ると、覆殿の中に納められた境内社の金刀比羅神社が春日造のようで、もしかすると、これが旧本殿かもしれない。 宮司さんは気さくな方で、社殿のこととか、ご朱印のこととかいろいろ話しただけに、これを確認しなかったのが残念。 |
参道と鳥居 | 末社・金刀比羅神社 |
拝殿 | 本殿 |
中央の朱印は「中氷川神社」、右は「武蔵國三氷川中乃社」「延喜式内祈年国幣」。
2008.07.20
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