墨書は「上総国姉崎鎮座 式内姉埼神社」。中央の朱印は「式内姉埼神社」、右上は「姉埼神社宮司之印」、その下は「神璽」。
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姉埼神社 (あねさきじんじゃ) | |
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御祭神 | 支那斗弁命〔しなとべのみこと〕 〈配祀〉 天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 大雀命〔おおささぎのみこと〕 塞三柱命〔さえのみはしらのみこと〕 |
鎮座地 | 千葉県市原市姉崎2278 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・景行天皇40年(110) |
社格等 | 式内社 旧県社 |
由緒 | 日本武尊の東征の時、走水〔はしりみず〕の海(浦賀水道)を渡ろうとすると、海神が暴風雨を起こし、船が進めなくなった。尊の妃である弟橘姫命〔おとたちばなひめのみこと〕が海中に身を投じ、海神の心を宥めたことにより、無事に海を渡ることができた。景行天皇40年(110)11月のことという。 社伝によれば、上総に上陸した日本武尊は、弟橘姫を偲んで風の神である支那斗弁命を祀った。これが姉埼神社の創祀という。同じ由緒を持つ同市島野の島穴神社の社伝では、弟橘姫は海に身を投じる際、大和の龍田大社の神に加護を祈願したので、その遺志を汲んだ日本武尊が龍田の神を祀ったとする)。 その後、景行天皇が東国を行幸された際、日本武尊を合祀されたと伝えられる。成務天皇5年(135)には当地を支配していた上海上国造〔かみつうなかみのくにのみやつこ〕・忍立化多比命〔おしたてけたひのみこと〕が天児屋根命と塞三柱神を合祀し、さらに履中天皇4年(403)その5世の孫である忍兼命〔おしかねのみこと〕が大雀命(仁徳天皇)を合祀したとされる。 朝廷・武門の崇敬篤く、元慶元年(877)には正五位上を賜る。延喜の制では小社に列し、天慶3年(940)には平将門追討祈願のため、刀剣一振が奉納された。源頼朝は鎌倉に向かう途次、武運長久を祈願して馬揃えを行ったという。 島野の島穴神社の御祭神・支那都比古命〔しなつひこのみこと〕は、当社の御祭神・支那斗弁命の夫神と伝えられる。土地の伝承によれば、御祭神・支那斗弁命は夫神に大変待たされ、「待つ身はつらい」といわれたために、「待つ」と音の通じる「松」が忌まれるようになり、境内には松の木がなく、また、氏子は正月に松を飾らず、竹と榊を組み合わせたものを飾るという。 |
例祭 | 7月20日 |
神事・行事 | 10月20日/秋季例祭 |
メモ | 宮山台と呼ばれる高台の上に鎮座する。大鳥居より参道を進むと、途中に御神水(脇の碑では「御瀧水」)があり、飲めば「正気五体に漲〔みなぎ〕り、能〔よ〕く百歳の長寿を保つ」とのことである。 さらに木々に覆われた石段を上ると社殿の正面に出る。右方向に神門があり、そちらには車であがれる参道があるようだ。玉砂利の敷かれた明るい境内で、周囲に富士塚や天満宮その他の末社などがある。 昭和61年(1986)火災に遭い、現在の社殿はその後の再建とのこと。重厚な印象を与える本殿流造りの木造権現造である。社殿の右側が広場のようになっているため、その構造がよくわかる。 |
大鳥居 | 御神水 |
神門と鳥居 | 浅間神社 |
社殿正面 | 社殿側面 |
墨書は「上総国姉崎鎮座 式内姉埼神社」。中央の朱印は「式内姉埼神社」、右上は「姉埼神社宮司之印」、その下は「神璽」。
2009.02.01
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