中央の文字と御朱印は「橘樹神社」、右上の朱印は「上総国二之宮」「延喜式内社」、左上に橘の神紋。
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拝 殿
橘樹神社 (たちばなじんじゃ) | |
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御祭神 | 弟橘姫命〔おとたちばなひめのみこと〕 〈相殿〉 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 忍山宿祢〔おしやまのすくね〕 |
旧称 | 橘神社 橘木社 橘大明神 |
鎮座地 | 千葉県茂原市本納738 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・景行天皇42年(112) |
社格等 | 式内社 旧県社 上総国二宮 |
由緒 | 茂原市北部の本納に鎮座する。延喜式神名帳には橘神社と見え、上総国二宮として崇敬された。社殿の背後は古墳になっており、日本武尊の妃・弟橘姫の御陵と伝えられる。 景行天皇の御代、東夷征伐のために相模から上総へ渡ろうとした際、海神の怒りにより暴風雨となった。そこで弟橘姫が海中に身を投じ、海神の怒りを和らげたことから無事に渡ることができた。七日後、姫の櫛が浜辺に流れ着いたので、その櫛を身につけて、無事に上総の地を平定することができた。その後、尊はこの地に陵墓を造り、弟橘姫の櫛を治め、橘の木を植えて、姫を祀った。これが当社の創祀と伝えられる。因みに、相殿に祀られる忍山宿祢は弟橘姫の父である。 神階は元慶元年(877)には正五位下、同五位上に進み、延宝8年(1681)には正一位を賜る。明治6年(1873)には県社に列する。 元は御陵の麓に拝殿と神門を構え、本殿はなかったが、寛政12年(1800)に社殿を再建した際、墳丘の一部を切り開いて本殿を建立した。 |
例祭 | 10月体育の日の前日 |
神事・行事 | 2月17日/祈年祭(鶏献饌真名箸料理・お的) |
文化財 | 〈県有形文化財〉橘木社文書 |
メモ | JR外房線、本納駅の北1km足らずのところに大きな鳥居が見える。参道を進むと、左側に池がある。「吾妻の池」と称し、陵墓を築くために土を取った跡という。さらに進むと、古墳を背後に控えた、堂々たる社殿がある。拝殿の前には、由緒に因むのであろう2本の橘があり、黄色い実をつけている。道路に囲まれており、割と車も多いので、「森厳な」という印象にはならないことだけが惜しまれるが、風情のあるたたずまいである。 |
大鳥居 | 本殿 |
吾妻の池 | 社頭の橘の木 |
中央の文字と御朱印は「橘樹神社」、右上の朱印は「上総国二之宮」「延喜式内社」、左上に橘の神紋。
2008.03.23
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