永禄5年(1562)戦火のために社殿・古文書等烏有に帰したため、創建等については不詳であるが、景行天皇の東国巡幸の際の創祀と伝えられる。
古くから朝廷の崇敬篤く、貞観10年(868)従五位上勲五等から従四位下に昇叙され、元慶元年(877)正四位下、同8年(884)正四位上に進んでいる。延喜の制では名神大社に列する。
中世は上総国一宮とされ、治承6年(1182)には上総権介広常〔かずさのごんのすけひろつね〕が源頼朝の武運長久のために願文を納めている。また源頼朝は妻・政子の安産を祈願して奉幣した。徳川家康は社領15石を寄進している。
例祭は十二社祭あるいは上総の裸祭りと呼ばれる。玉依姫命とその眷属の神々が、御祭神ゆかりの釣ヶ崎で年に一度再開するというもので、大同2年(807)に始まったと伝えられる。玉前神社をはじめ、10基余りの神輿が九十九里浜最南端の釣ヶ崎海岸に集まり、神事を行う。