上の朱印は「丸に三の字」の社紋、下の朱印は「相模国 三之宮 比々多神社」。
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比々多神社 (ひびたじんじゃ) | |
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御祭神 | 豊國主尊〔とよくにぬしのみこと〕(豊斟渟尊〔とよくむぬのみこと〕) 天明玉命〔あめのあかるたまのみこと〕 稚日女尊〔わかひるめのみこと〕 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 〈相殿〉 大酒解神〔おおさかとけのかみ〕(大山祇神) 小酒解神〔こさかとけのかみ〕(木花開耶姫) |
旧称 | 冠大明神 |
鎮座地 | 神奈川県伊勢原市三ノ宮1472 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・神武天皇6年(B.C.655) |
社格等 | 式内社 相模国三宮 旧郷社 |
由緒 | 神社近辺からは縄文・弥生式の土器が発掘され、古墳も数多くあることから、極めて古い時代から人々が生活を営んでいたようである。 社伝によれば、神武天皇6年(紀元前655)大山を神体山として豊国主尊を祀ったことに始まるとされる。 大化元年(645)大酒解神・小酒解神が合祀され、この時に「うずら瓶」(県重要文化財)が奉納されたという。また、持統天皇の御代(692?)布施朝臣色布知によって社殿の改修が行われ、木造狛犬(市文化財)が奉納されたとされる。天長9年(832)には淳和天皇より「冠大明神」の神号を賜ったという。 延喜式神名帳では小社に列せられる。 建久3年(1192)源頼朝より夫人・政子の安産祈願のために神馬を奉納された。また元暦元年(1184)には社殿の再建を行ったという。 明応年間(1492〜1501)戦火により社殿等灰燼に帰し、現社地に遷座。 天正19年(1591)徳川家康は朱印地10石を寄進した。 相模国の三の宮で、国府祭〔こくふさい・こうのまち〕に参加する相模六社の一つ。有名な「座問答〔ざもんどう〕」では、上座を争う寒川神社と川勾神社の宮司に対し、比々多神社の宮司が「いずれ明年まで」と仲裁する。 |
例祭 | 4月21〜22日(三宮祭) |
神事・行事 | 5月5日/国府祭(中郡大磯町国府本郷) 5月第3土・日曜日/まが玉祭 11月下旬/酒祭 |
文化財 | 〈県有形文化財〉うずら瓶 〈県無形民俗文化財〉浜降祭 (国府祭) |
公式サイト | http://hibita.jp/ |
メモ | 相模六社の巡拝で、最後に参拝したのが比々多神社。朝から怪しかった天気が、ここに来て雨になった(※写真は後日の参拝時のもの)。 境内はすっきりとした広場になっている。ところどころに可愛らしいネズミやリスのベンチがあり、子どもが喜びそうである。社殿の前には、これも可愛らしい干支の石像。社殿も立派なものである。また、鳥居をくぐってすぐのところに鐘楼があるのが珍しい。鐘は先の大戦時に供出された先代に替わり、昭和25年(1950)新鋳されたものという。 |
鳥居 | 鐘楼 |
神輿庫 | 境内社 |
拝殿 | 本殿 |
上の朱印は「丸に三の字」の社紋、下の朱印は「相模国 三之宮 比々多神社」。
2007.03.25
更新:2009.03.09
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