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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

稲毛神社
いなげじんじゃ

稲毛神社大鳥居

稲毛神社 (いなげじんじゃ)
御祭神 武甕槌神〔たけみかつちのかみ
〈配祀〉
経津主神〔ふつぬしのかみ〕
菊理媛神〔きくりひめのかみ〕
伊弉諾神〔いざなぎのかみ〕
伊弉冉神〔いざなみのかみ〕
旧称 武甕槌宮 河崎山王社 堀之内山王権現 五社山王 三社宮 川崎大神宮
鎮座地 神奈川県川崎市川崎区宮本町7−7 (Mapion/googlemap
創建年代 不詳
社格等 旧郷社 別表神社
由緒 創建年代は不詳。社伝によれば、太古、東国平定のために武甕槌神を祀ったといい、景行天皇が東国を巡幸された際、当社に賊難を避けられたとされる。また、欽明天皇は当地の動乱を鎮め、その後の親和協力を祈って経津主神・菊理媛神・伊弉諾神・伊弉冉神を配祀されたという。
平安時代後期、この地の領主となった河崎基家(渋谷家の祖、秩父六郎基家、渋谷区の金王八幡宮は基家の創建という)が山王権現を勧請し、以来、河崎山王社などと呼ばれるようになった。
鎌倉幕府からは社領700石を寄進され、源頼朝の命を受けた佐々木高綱(宇治川の先陣争いで名高い)によって社殿が造営された。しかし、新田家との関わりが深かったことから、室町時代には社領を20石に減じられた。
江戸時代には幕府より朱印地20石を寄せられ、川崎宿及び河崎七ヶ村の鎮守として崇敬を受けた。
慶応4年(1868)、幕府征討のために下向中の有栖川宮熾仁親王が当社に休息した際、「御社名、新政府の神仏分離の方針に相応しからず」との言葉があり、鎮座地・橘樹郡稲毛庄に因み、「川崎大神稲毛神社」と改められた。その後、川崎大神宮と称した時期もあったが、明治中期に稲毛神社として確定した。
例祭 8月1〜3日(川崎山王祭)
神事・行事 1月1日/勝祈祷
3月春分の日/春季祖霊祭
4月第1日曜日/稲荷講
11月酉の日/酉の市
文化財 〈県選択無形民俗文化財〉川崎山王祭りの宮座式
公式サイト http://takemikatsuchi.net/
メモ 第一京浜国道と国道132号線の交差点のそばに境内入り口の大鳥居がある。旧東海道からは少し離れているが、周囲には川崎区役所や市役所などがあり、文字通り川崎の中心部に鎮座している。
戦災によるものか、社殿は戦後の再建のようだが、拝殿前の石の鳥居や手洗石は江戸時代のもの。また、ご神木の大銀杏は樹齢1千年といわれ、戦前は神奈川県の天然記念物に指定されていたという。戦火のために損傷したが、年とともによみがえっている。その周囲には十二支めぐりとして、十二支のブロンズ像が置かれている。
境内入り口の大鳥居 子神社と大鷲神社
境内入り口の大鳥居 子神社と大鷲神社
大銀杏(御神木) 佐佐木神社
大銀杏(御神木) 佐佐木神社
拝殿 本殿
拝殿 本殿
稲毛神社の御朱印

中央の文字は「健勝堅固」。中央上の朱印は八方崩しの書体で判読できない。下は「稲毛神社」。

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2009.10.21
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