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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

石楯尾神社
いわたておのじんじゃ

石楯尾神社拝殿

石楯尾神社 (いわたておのじんじゃ)
御祭神 石楯尾大神〔いわたておのおおかみ〕
〈配祀〉
事代主神〔ことしろぬしのかみ〕
日本武尊〔やまとたけるのみこと〕
護良親王〔もりながしんのう〕
木花開耶姫命〔このはなさくやひめのみこと〕
保食神〔うけもちのかみ〕
天村雲命〔あめのむらくものみこと〕
中筒男命〔なかつつのおのみこと〕
天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕
火産霊神〔ひむすびのかみ〕
埴山姫命〔はにやまひめのみこと〕
水波能売命〔みずはのめのみこと〕
菊理姫命〔くくりひめのみこと〕
旧称 名倉権現 蔵王権現
鎮座地 相模原市緑区名倉4524 (地図表示:マピオン)
創建年代 不詳
社格等 式内論社 旧郷社
由緒 相模川の上流、桂川の岸に鎮座する。500mほど進むともう山梨県である。
延喜式神名帳所載の相模国高座郡・石楯尾神社には、同じく緑区佐野川(旧藤野町佐野川)の石楯尾神社や藤沢市鵠沼神明・皇大神宮の境内社などいくつかの論社があるが、当社がもっとも有力な論社とされる。相模十三社めぐりにも当社が入っている。
当社が鎮座するのは旧津久井郡藤野町であるが、津久井郡の成立は江戸時代で(正確には津久井県と呼ばれていた)、それ以前は奥三保または津久井領と呼ばれていた。大半が愛甲郡に属し、このあたりは高座郡であったともいわれるが、定かではない。
創建は不詳だが、応神天皇の臨幸を仰いだという伝承があり、創祀はそれ以前にさかのぼるであろうという。天安元年(857)従五位下に叙され、寿永元年(1182)勅宣により藤原広信が再興した。源頼朝は祈願所とし、七つの大鳥居を建立、社領75石を寄進したとされる。
奥三保18ヶ村・川入郷7ヶ村の総鎮守として崇敬されたが、永禄12年(1569)三増峠の戦いの際、武田軍のために社殿ことごとく焼失し、古記録も失われてしまった。現在の社殿は享保9年(1724)に再建されたものという。明治6年(1873)郷社に列格。
例祭 8月26日
神事・行事 4月10日/春季大祭
11月28日/秋季大祭
毎月1日/霊開の祭
文化財 〈県天然記念物〉二本杉と社叢
メモ 参拝したのは1月の終わりで、境内には雪も残る寒い日であった。宮司さんは大変気さくな方で、神社の由緒や山間部で氏子も少ない神社を維持する苦労など、いろいろな話を聞かせてもらった。
聞くところによれば、翌年2月、火事により休憩所・授与所などが全焼したとのこと。不審火の疑いがあるようだが、そのような心ない行為には怒りを覚える。
鳥居 随神門
鳥居 随神門
二本杉 境内社
二本杉 境内社
祖霊社 本殿
祖霊社 本殿
石楯尾神社の御朱印

中央の朱印は「式内石楯尾神社神璽」、左上の朱印は「相模名倉 延喜式内石楯尾神社 参拝記念」。

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2010.04.28
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