主祭神の五十瓊敷入彦命は垂仁天皇の皇子で、景行天皇の兄に当たる。諸国をまわって池溝を開き、農業を盛んにして人々の生活を安定させたので、民から篤く尊崇されたと伝えられる。
社伝によれば、命が薨去された翌年の景行天皇14年(A.D.84)、稲葉山(金華山)の北西・椿原(現在の岐阜公園の丸山)に鎮斎されたという。現在は境外摂社の丸山神社が鎮座している。
『続日本後紀』承和12年(845)7月16日条に、美濃国厚見郡伊奈波神に従五位下を授け奉ったことが記されている。さらに貞観11年(869)には正五位下、元慶4年(880)には従四位下に進んでいる。弘長元年(1261)に正一位に叙されたと伝えられ、『美濃国神名帳』には「正一位伊奈波大神」とある。
中世には美濃国三宮として崇敬された。天文8年(1539)斉藤道三が稲葉山城を築くに際して現社地に遷座し、城の鎮守とした。この時、式内社の物部神社(配祀の物部十千根命)を合祀したと伝えられる(ただし、伊奈波神社そのものを式内社・物部神社に当てる説もあるらしい)。
その後も岐阜の総鎮守として織田氏・徳川氏から尊崇された。明治6年(1873)県社に列格、昭和14年(1939)国幣小社に昇格。
例祭は、妃神・淳熨斗媛命を祀る金神社、御子神・市隼雄神を祀る橿森神社と同じ4月5日に行われる。神賑行事は神幸祭として4月第一土曜日に行われ、伊奈波神社の神輿が金神社・橿森神社を巡行する。山車の奉曳やからくりの奉納、花火などもあり、岐阜まつりと称される。同じ日に道三まつりも開催され、岐阜市内は祭一色になるという。