中央の朱印は「濃飛護國神社之印」。
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濃飛護國神社 (のうひごこくじんじゃ) | |
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御祭神 | 明治2年から昭和14年までの岐阜県出身の護国英霊及び昭和15年以降の西美濃出身の護国英霊 18,917柱 |
旧称・通称 | 大垣招魂社 濃飛招魂社 |
鎮座地 | 岐阜県大垣市郭町二丁目55 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 明治2年(1869) |
社格等 | 旧内務大臣指定護國神社 |
由緒 | 明治2年(1869)旧大垣藩主・戸田氏共は城下操練場に仮招魂祠を設立し、戊辰戦争に新政府軍として従軍し、戦死した旧大垣藩士54名の招魂祭を執り行った。 翌3年(1870)大垣城二ノ丸を招魂場と定めて祠を創建。同8年(1875)官祭の大垣招魂社となった。同12年(1879)には西南戦争の戦死者12名を合祀した。同24年(1891)濃尾地震により社殿等が倒壊、同28年(1895)に再建された。 同30年(1897)及び33年(1900)に日清戦争における岐阜県出身の英霊を、さらに同38年(1905)日露戦争における英霊を合祀するにつれ、社殿拡張の気運が高まり、在郷陸海軍将校が中心となって寄付を募り、同43年(1910)新しい社殿が竣工した。 昭和14年(1939)3月27日、社号を官祭濃飛招魂社と改称、さらに同年4月1日、内務大臣指定の濃飛護国神社と改められた。崇敬区域は西濃1市5郡及び飛騨1市3郡であった。 同20年(1945)7月、戦災のために社殿・社務所等が全焼。同30年(1950)御造営奉賛会が設立され、同33年(1958)には本殿が、翌34年(1959)には幣殿・拝殿が再建され、現在に至っている。 |
例祭 | 4月22〜23日(春季例祭) 9月22日(秋季例祭) |
神事・行事 | 8月15日/戦没者追悼平和祈願祭 |
メモ | 大垣駅の南700mほど、大垣公園の一角に鎮座する。 初めての参拝時は宮司さんが不在で、御朱印をいただくことができなかった。そこで2度目は事前に連絡をして参拝。 御祭神については資料によって少し違う。上記「明治2年から昭和14年までの岐阜県出身の護国英霊及び昭和15年以降の西美濃出身の護国英霊 18,917柱」というのは展転社の『故郷の護國神社と靖國神社』によっているが、境内にある『忠魂顕彰之碑』の裏側にある由緒書には「祭神明治戊辰の役を初め日清日露各役を経てからの支那事変大東亜戦争により 西濃一市五郡から国民の犠牲となられた戦没者諸士18914柱英霊」とある。神社でいただいた由緒書には「明治維新より西南、日清、日露各役を経て今回の支那事変、大東亜戦争に至る英霊一万八千九百数十柱」とあり、出身地については触れていない。 内務大臣指定護国神社としての崇敬区域が西濃及び飛騨だったことを考えると(社号も「濃飛」すなわち美濃と飛騨であるし、飛騨護国神社は指定護国神社ではない)、飛騨出身の英霊は含まれないのかという疑問もあるが、確認はできていない。 |
社前風景 | 大鳥居 |
忠魂顕彰之碑 | 昭和天皇・皇后両陛下行幸啓記念碑 |
中央の朱印は「濃飛護國神社之印」。
2012.09.13
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