朱印・墨書ともに「五社神社 諏訪神社」。
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五社神社 (ごしゃじんじゃ) 諏訪神社 (すわじんじゃ) | |
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御祭神 | 〈五社神社〉 太玉命〔ふとだまのみこと〕 武雷命〔たけみかずちのみこと〕 斎主命〔いわいぬしのみこと〕 天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕 姫大神〔ひめおおかみ〕 〈相殿〉 応神天皇〔おうじんてんのう〕 舎人親王〔とねりしんのう〕 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕 徳川家康公〔とくがわいえやすこう〕 〈諏訪神社〉 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕 八坂刀売命〔やさかとめのみこと〕 事代主命〔ことしろぬしのみこと〕 〈相殿〉 徳川家康公〔とくがわいえやすこう〕 |
鎮座地 | 静岡県浜松市中区利町302−5 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 五社神社:戦国時代 諏訪神社:延暦10年(791) 昭和35年(1960)合祀 |
社格等 | 旧県社 別表神社 |
由緒 | 五社神社と諏訪神社はもともと別の神社であったが、昭和35年(1960)に合祀され、現在は一つの宗教法人になっている。 社伝によれば、五社神社は久野越中守が曳馬城〔ひきうまじょう〕(浜松城)内に奉斎したことに始まる。社号は五柱の祭神を祀ることによる。太玉命を祀っていた社に春日四神を合祀したものであろうという。 元亀元年(1570)徳川家康が曳馬城に入り、浜松城と改名した。天正7年(1579)後の二代将軍・徳川秀忠が城内で誕生し、産土神〔うぶすながみ〕として崇敬を受ける。翌8年(1580)常寒山の現社地に社殿を造営して遷座、社領15石を寄進された。慶長15年(1610)には徳川秀忠より100石を寄せられている。 寛永11年(1634)徳川家光は上洛の折に参拝し、東照宮(徳川家康)を相殿に祀るとともに、朱印地200石を加えて300石とした。同18年(1641)家光により再建された社殿は豪壮華麗なもので旧国宝に指定されていたが、昭和20年(1945)戦災のために焼失した。 諏訪神社は古くより敷智郡〔ふちぐん〕上中島村に鎮座していた。延暦10年(791)坂上田村麻呂が東征の際に奉斎したものと伝えられる。弘治2年(1556)神託により浜松に遷座したという。徳川家康の崇敬を受け、天正7年(1579)社殿を造営された。元和元年(1615)徳川秀忠により杉山に遷される。 寛永11年(1634)徳川家光上洛の際、五社神社と同様に東照宮(徳川家康)を勧請し、朱印地300石を寄進される。さらに同18年(1641)家光により現社地に遷座、五社神社と並んで社殿が造営された。この社殿も旧国宝に指定されたが、昭和20年(1945)戦災により焼失してしまった。 五社神社は明治6年(1873)、諏訪神社は昭和17年(1942)に県社昇格。戦後、昭和35年(1960)両社を合祀。同47年(1972)別表神社に加列。同57年(1982)に竣工した社殿は、本殿(三間社流造)も一つになっている。 |
例祭 | 5月4日 |
神事・行事 | 2月節分/節分祭 |
公式サイト | http://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/ |
メモ | 浜松駅の北西1kmほどのところに、旧国宝であったかつての姿を彷彿とさせる豪壮な社殿が建つ。戦災のため、古い建造物はほとんど失われているが、わずかに切石や手水鉢、光海霊神碑〔てうなてりのみたまのひ〕などが残っている。 手水鉢は寛永15年(1638)浜松城主・高力忠房によって寄進されたもの。また光海霊神碑は、五社神社の神主であった森暉昌〔もり てるまさ〕を顕彰するため、賀茂真淵が碑文を記している。暉昌は荷田春満の門人で、真淵は若年の頃、彼の許で学んだという。 |
大鳥居 | 光海霊神碑 |
手水鉢 | 五宝稲荷社 |
拝殿 | 本殿 |
朱印・墨書ともに「五社神社 諏訪神社」。
2011.06.08
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