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諸国神社御朱印集

伊豆山神社
いずさんじんじゃ

伊豆山神社

伊豆山神社 (いずさんじんじゃ)
御祭神 伊豆大神/火牟須比命 伊邪那岐命 伊邪那美命
鎮座地 静岡県熱海市伊豆山上野地708-1 (Mapion/googlemap
社格等 式内社 旧国幣小社 別表神社
公式サイト http://www.izusanjinjya.jp/

伊豆山神社の御由緒

江戸時代以前は伊豆山権現あるいは走湯権現と称されていた。箱根権現と合わせて二所権現とも称された。

社伝によれば、孝昭天皇の御代に創建されたとされる。最初は日金山(久良地山)に鎮座していたが、その後、本宮山(現在、摂社の本宮神社が鎮座している)、さらに現社地に遷座したと伝えられる。

延喜式内社の火牟須比命神社に比定されているが、摂社の雷電神社を当てる説と本社を当てる説がある。

仁徳天皇・清寧天皇・推古天皇・孝徳天皇・後奈良天皇の勅願所とされたといい、後奈良天皇が奉納された御宸筆の紺地金泥般若心経は重要文化財に指定されている。

伊豆に配流されていた源頼朝は当社に源家再興を祈願。鎌倉幕府を開いて後は箱根権現とともに二所権現として篤く崇敬し、関八州の鎮護とした。鎌倉時代を通じて、歴代将軍による二所詣が恒例とされていた。さらに関東各地に多くの社領を有していたという。

戦国時代は小田原北条氏の尊崇を受け、庇護を受けていたことから、豊臣秀吉の小田原征伐に際して全山焼き討ちに遭った。その後、徳川家康により再建復興され、文禄3年(1594)には社領200石を寄進、さらに慶長年間に100石を寄せられ、計300石の朱印領を有した。

明治初年、神仏分離により社号を伊豆山神社と改め、明治6年(1873)県社に列格、昭和3年(1928)国幣小社に昇格した。

本社からさらに参道を登ると、末社の白山神社が鎮座している。また、参道を海岸まで下りると走湯権現の名の由来となった走り湯があり、摂社の走湯神社が鎮座している。走り湯は全国でも珍しい横穴式源泉で、湧き出した湯が海岸に走り落ちる様から名付けられたという。

伊豆山神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印 平成23年拝受の御朱印

左が平成17年、右が平成23年拝受の御朱印。
平成17年のものは、中央の墨書が「伊豆大神」。上の朱印は「伊豆山神社」、下が「伊豆権現」。
平成23年のものは、中央の墨書が「伊豆山神社」、朱印は剣に「伊豆山神社」。

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伊豆山神社の概要

名称 伊豆山神社
旧称 火牟須比命神社(式内) 伊豆山権現 伊豆大権現 走湯大権現
御祭神 伊豆大神
・火牟須比命〔ほむすびのみこと〕
・伊邪那岐命〔いざなぎのみこと〕
・伊邪那美命〔いざなみのみこと〕
鎮座地 静岡県熱海市伊豆山上野地708-1
創建年代 伝・孝昭天皇の御代
社格等 式内社 旧国幣小社 別表神社
延喜式 伊豆國田方郡 火牟須比命神社
例祭 4月14〜16日
神事・行事 1月15日/鎮火祭
3月15日/雷電社例祭
5月14日/走湯神社例祭
7月1日/足立権現社例祭
8月7日/白山権現社例祭
8月23日/本宮社例祭
11月10日/温泉感謝祭
文化財 〈重文〉木造男神立像 剣(無銘) 紺地金泥般若心経・後奈良天皇宸翰(伊豆国) 〈県指定有形文化財〉銅造走湯権現立像 紺紙金銀字交書仏説無所■望経 伊豆山経塚遺物
参道と鳥居 末社・役の小角社
参道と鳥居 末社・役の小角社
末社・結明神社 手水舎・赤白二龍
末社・結明神社 手水舎・赤白二龍
摂社・雷電社 拝殿
摂社・雷電社 拝殿
本殿 末社・白山社
本殿 末社・白山社
摂社・走湯神社 走湯
摂社・走湯神社 走湯

メモ
初めての参拝は平成17年だったが、夕方で慌ただしい参拝、写真もほとんど撮ってなかった(下の拝殿の写真はその時のもの)。そこで、御朱印帳の入手と写真撮影を兼ねて、平成23年に再度の参拝をした。今回は余裕を持ち、摂社の走湯神社や末社の白山社にも参拝。御朱印は新しいものになっているようだ。
御朱印帳や手水舎の吐水龍の赤白二龍は、『走湯山縁起』の記述に基づくもののようである。強運守護としてステッカーなども頒布している。また、源頼朝と北条政子が結ばれたことでも知られ、境内に頼朝・政子の腰掛け石があることから、縁結びの神社としても人気がある。

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2012.01.18
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