朱印は「事任八幡宮」。
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大楠と拝殿
事任八幡宮 (ことのままはちまんぐう) | |
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御祭神 | 己等乃麻知比売命〔ことのまちひめのみこと〕 息長足比売命〔おきながたらしひめのみこと〕 誉田別命〔ほんだわけのみこと〕 玉依比売命〔たまよりひめのみこと〕 |
旧称 | 己等乃麻知神社 己等乃麻々明神 任事社 誉田八幡宮 八幡神社 |
鎮座地 | 静岡県掛川市八坂642 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 不祥(成務天皇の御代という記録がある) |
社格等 | 式内社 旧県社 遠江国一宮 |
由緒 | 旧東海道、日坂宿の入り口に鎮座する。日坂は箱根に次ぐ東海道の難所である佐夜の中山の登り口になる。古くから、願い事のままに叶う明神として多くの紀行文に記録があり、京の都でもよく知られていたらしい。清少納言の『枕草子』にも「ことのまま明神いとたのもし」と見える。 祭神の己等乃麻比売命は言霊を司る女神で、天児屋根命の母神と伝えられる。全国でこの女神を祀る神社は当社だけだという。 社伝によれば、成務天皇の頃(190頃)本宮山に鎮座し、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征の際、桓武天皇の勅を奉じて現社地に遷座したという。 『文徳実録』嘉祥三年七月、遠江国の国任神に従五位下、『三代実録』貞観2年(860)正月、真知乃神に正五位上が授けられたことが記載されている。延喜式神名帳には己等乃麻知神社として記載されている。 康平5年(1062)源頼義が石清水八幡宮を勧請し、八幡宮を併称するようになる。室町時代の『大日本国一宮記』には遠江国の一宮として「己等乃麻知神社」があげられているが、安土桃山時代から江戸時代には八幡宮の名のみが残り、日坂八幡あるいは誉田八幡と呼ばれるようになる。 明治5年(1872)県社に列し、県社八幡神社と称するようになる。以来、古来の社号である「事任」に復しようとするが許されず、昭和22年(1947)ようやく事任八幡宮と改称する。さらに平成になり、神社庁の認可を受けて、再び己等麻知比売命を主祭神として祀るようになった。 |
例祭 | 敬老の日前の金・土・日曜日 |
神事・行事 | 1月15日/御焚上祭 5月八十八夜/献茶祭 旧暦8月15日/十五夜祭 11月中酉日/中酉祭 12月14日/応神天皇誕生祭 |
公式サイト | http://www.geocities.jp/kotonomachihime/ |
メモ | それほど広い境内ではないが、大木に覆われ、非常によい雰囲気の神社である。 旧東海道をはさんだ本宮山の頂上には奥宮があり、境内に遙拝所がある。また、本殿の背後には禁足地になっている。 遠江国の一宮制については、一宮・小国神社(周智郡森町)二宮・鹿苑神社(磐田市)とする説と、一宮・事任八幡宮、二宮・二宮神社(湖西市新居町)とする説がある。一宮や二宮に論社があるのはよくあるが、セットで異説があるのは珍しい。これは、国レベルでの祭祀体制を変革しようという動きがあり、その背後に神祇管領・吉田家があったのではないかといわれている。 |
太鼓橋 | 一の鳥居 |
拝殿 | 本殿 |
本宮遙拝所 | 禁足地 |
朱印は「事任八幡宮」。
2010.07.28
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