中央の朱印は「延喜式内焼津神社印」、左下は「焼津神社社務所之印」。
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焼津神社 (やいづじんじゃ) | |
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御祭神 | 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 〈配祀〉 吉備武彦命〔きびのたけひこのみこと〕 大伴武日連命〔おおとものたけひのむらじのみこと〕 七束脛命〔ななつかはぎのみこと〕 |
旧称 | 入江大明神 |
鎮座地 | 静岡県焼津市焼津二丁目7−2 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 伝・反正天皇4年(409) |
社格等 | 式内社 旧県社 別表神社 |
由緒 | 創建は不詳だが、『駿河国風土記』によれば反正天皇4年(409)の創建とされるという。御祭神は日本武尊で、尊の東征に従った武将である吉備武彦命と大伴武日連命、膳夫の七束脛命を配祀する。 記紀によれば、景行天皇40年(110)日本武尊東征の折、当地において賊に欺かれ、野火の難に遭ったが、天叢雲の剣で草を薙ぎ、向火を放って難を逃れ、賊を討った。これによって当地を焼津と称するようになったとされる。 延喜の制で小社に列し、『駿河国諸郡神階帳』には「神階正四位下焼津明神」とある。往古は南東数キロの地に鎮座していたが、次第に海となったため現社地に遷座したと伝えられる。 武門の崇敬篤く、今川氏は社領500石を寄進し、徳川家康は慶長8年(1603)に社殿を造営、また代々朱印領70石を寄せられている。明治6年(1871)郷社に列格、同16年(1881)県社に昇格。昭和41年(1966)別表神社に加列。 正月元旦にはのぼり祭りと称し、漁業者が大漁旗を社殿前に立てて、その年の大漁を祈願するという。 8月の例大祭は「荒祭り」として名高い。二基の神輿が数百人の白装束の担ぎ手によって激しく勇壮に渡御し、その荒々しさから「東海一の荒祭り」と称される。 また、渡御行列の先頭を行く獅子木遣りは県の無形文化財、国の記録作成等の処置を講ずべき無形民俗文化財(選択民俗文化財)に指定されている。雌雄二頭の獅子頭から延びる獅子幕を手古舞衣装の少女達が持ち、木遣り歌を歌いながら練り歩く。 渡御行列前日の12日には「のぼりかつぎ参り」と「御神楽祭」が行われる。 「のぼりかつぎ参り」は、生後初めての年から3年間、「奉納焼津神社」と書いた幟を担いで参拝し、無事成長の祈願をするというものである。一年目の子どもは、拝殿前で「神ころがし」の儀式を行うが、これも獅子木遣りとともに国の選択民俗文化財に指定されている。 御神楽祭は「丑の刻祭」とも称し、暗闇のなかで古伝の笛を奏する厳粛な神事である。 |
例祭 | 8月13日(荒祭り) ※8月12日/のぼりかつぎ参り、神ころがし、御神楽祭 |
神事・行事 | 1月元旦/歳旦祭(のぼり祭り) 春分の日/春分の日当日祭・稲荷社祭 8月1日/御注連下し祭 秋分の日/秋分の日当日祭・市杵島姫社祭 10月16日/須賀神社例祭 10月28日/郷魂祠例祭 |
文化財 | 〈選択民俗文化財〉獅子木遣りと神ころがし 〈県無形民俗文化財〉獅子木遣り |
公式サイト | http://yaizujinja.or.jp/ |
メモ | 焼津駅を出て、港町らしい潮と魚の香りが漂う中を5分余り歩いたところに鎮座する。参拝はよく晴れた春の朝だったが、落ち着いた印象の境内。松の梢に鷺が巣を作っていたのが印象に残る。 |
大鳥居 | 日本武尊像 |
郷魂祠 | 焼津御霊神社 |
焼津天満宮 | 末社・七社合殿 |
摂社・市杵島姫神社 | 本殿 |
中央の朱印は「延喜式内焼津神社印」、左下は「焼津神社社務所之印」。
2011.09.14
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