中央下の御朱印は「延喜式内 菟足神社」、上は兎の神紋。
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菟足神社 (うたりじんじゃ) | |
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御祭神 | 菟上足尼命〔うなかみすくねのみこと〕 |
鎮座地 | 愛知県豊川市小坂井町宮脇 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 伝・雄略天皇の頃/白鳳15年(675)現社地に遷座 |
社格等 | 式内社 旧県社 |
由緒 | 『先代旧事本紀』によれば、御祭神の菟上足尼命は葛城襲津彦〔かつらぎのそつひこ〕(武内宿禰の子で、葛城氏の祖)の四世の孫で、雄略天皇の御代に穂〔ほ〕の国(現在の東三河地方にあったとされる)の国造に任じられたという。 菟上足尼命は善政を敷き、殖産・治民に功績をあげたことから、その没後、平井の柏木浜に祀られたという。さらに白鳳15年(675?)神託により秦石勝〔はたのいわかつ〕によって現社地に遷座した。 朝廷・武門の崇敬篤く、貞観6年(864)には神階従五位下を叙せられ、延喜の制では小社に列している。徳川家康は神領95石を寄進している。明治初めの東京行幸に際しては、勅使が参向している。鳥居に掲げられた「式内菟足神社」の社号額は有栖川宮熾仁親王の御染筆である。 例祭は「風祭」と呼ばれ、今昔物語や宇治拾遺物語にも記されている。手筒花火や打上花火で知られるが、浜下〔はまおり〕神事や雀射初〔すずめいそめ〕神事、御田植神事などの神事や、山車・平井の行列・巫女神楽など盛大な祭りである。 かつては人身御供が行われ、それに代えて猪を生け贄にするようになったが、国司の大江定基はその様を見て出家したという話が今昔物語にある。後に雀十二羽に改められ、現在も雀射初神事・雀射収〔すずめいおさめ〕神事が行われている。 文化財や伝説も多い。 重要文化財の大般若経は、平安時代の終わりに書写されたもので、願主・藤原宗成、僧・研意智による一筆経だが、長く弁慶の書と信じられていたという。かつては宵宮祭の朝、陀羅尼山財賀寺の供僧によって読誦されていたが、現在は旧4月11日の旧祭に地域の僧侶による大般若経転読会が行われている。 県指定文化財の梵鐘は社前の水田から発掘されたもので、応安3年(1370)の銘がある。人身御供にまつわる「子だが橋」の物語や徐福渡来伝説も残っている。 |
例祭 | 4月第2土・日曜日(風祭) |
神事・行事 | 1月7日/御田祭 旧4月11日直近日曜日/旧祭(大般若経転読式) 旧8月15日直近日曜日/摂社・八幡社例祭 9月末日/神送り神事 |
文化財 | 〈重文〉大般若経 〈県有形文化財〉梵鐘 〈県有形民俗文化財〉祭礼古面 〈県無形民俗文化財〉田祭り |
メモ | 初めての参拝は平成20年の10月半ば、故郷の祭りのために帰省する途中、豊川稲荷と併せての参拝であった。授与所に御朱印の表示があるのに、人が誰もおらず、呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない。どうしたものかと思っているところに、氏子総代さんが通りかかり、宮司さんは職務の関係で普段は東京にいること、毎月1日と正月、例祭等には神社にいることなどを教えてくれた。とはいえ、当時は諸事情で毎月1日に東京を離れることが難しく、当面の間、御朱印拝受は難しいだろうと思われた。 ところが、半月もしないうちに、急遽、関西への出張が決まり、11月1日に移動することになった。それで、新幹線を途中下車して参拝し、御朱印もいただくことができた。不思議な思いがしたものである。 その時点での情報として、宮司さんは毎月1日、正月、例祭、11月前半の土日曜日(七五三のため)などには神社にいらっしゃるので、御朱印をいただくことができる。ただし、毎月1日はすぐ近くにある五社稲荷社の縁日なので、昼間はそちらのほうに詰めていることが多いようである。また、普段でも、書き置き(印刷?)のものなら宮司さん宅でいただくことができるかもしれない。 |
神楽殿 | 手筒花火 |
境内社 | 摂社・八幡社 |
拝殿 | 兎の神紋(賽銭箱) |
拝殿内の兎 | 本殿 |
中央下の御朱印は「延喜式内 菟足神社」、上は兎の神紋。
2011.01.19
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