中臣連〔なかとみのむらじ〕(後の藤原氏)などの祖神・天児屋根命を中臣の支族である平岡連〔ひらおかのむらじ〕が祀ったものと考えられる。神護景雲2年(768)春日大社創立の際、枚岡神社より天児屋根命・比売御神を迎えたことから、元春日と称される。宝亀9年(778)武甕槌命と斎主命を春日大社より迎え、祭神四座となった。
社伝によれば、神武天皇東征の際、中臣氏の祖である天種子命に命じ、祖神・天児屋根命を神津嶽に祀らせたことを創祀とする。白雉元年(651)現社地に遷座した。
皇室の外戚である藤原氏の祖神として朝野の崇敬篤く、貞観元年(859)には神階正一位に昇叙されている。延喜式では四座ともに名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の官幣に預かった。
中世は河内国の一宮とされ、平岡連の末裔・水走氏〔みずはいし〕が祭祀を司るようになる。水走氏は早くより河内源氏の配下となり、有力武士団として成長し、鎌倉時代を通じて繁栄した。南北朝期には楠木氏と行動をともにしたため、次第に衰退し、江戸時代には枚岡神社の社家として存続した。
特殊神事には粥占神事や、神武東征に由来する平国祭などがある。秋祭りは秋郷祭と称し、二十台を超す布団太鼓(太鼓台)や地車が奉納される勇壮な祭として名高い。