中央の墨書は「大阪城 豊國神社」。朱印も同じく「豐國神社」。
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豊国神社 (ほうこくじんじゃ) | |
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御祭神 | 豊臣秀吉公〔とよとみひでよしこう〕 豊臣秀頼公〔とよとみひでよりこう〕 豊臣秀長卿〔とよとみひでながきょう〕 |
鎮座地 | 大阪市中央区大坂城2−1 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 明治12年(1879) |
社格等 | 旧府社 |
由緒 | 豊臣秀吉と縁深い大阪城内に鎮座する。 明治元年(1868)大阪に行幸した明治天皇より、国家のために勲功のあった豊臣秀吉を大阪城外に祀るよう御沙汰があった。しかし、紆余曲折の末、本社は京都・阿弥陀ヶ峰の豊臣秀吉の墓前に営まれることとなり(京都市東山区の旧別格官幣社・豊国神社)、大阪市には明治12年(1879)中之島字山崎の鼻(現在、中央公会堂がある場所)に別社が創建された。 大正元年(1912)中央公会堂建設のため、府立図書館の西側に移転。同10年(1921)独立の神社となり、府社に列格した。 昭和31年(1956)大阪市役所増築のため、神社移転の要望があった。御祭神に縁深い大阪城内に遷ることが決まり、同36年(1961)現社地に遷座した。 |
例祭 | 8月18日(太閤祭) |
神事・行事 | 2月節分/鎮魂祭 3月一の午の日/初午祭 7月18日/夏祭 |
公式サイト | http://www.apsara.ne.jp/houkoku/ |
メモ | 京都の豊国神社は「とよくに」と読ませるが、こちらは「ほうこく」と読むようだ。 参拝は週末のお昼。大阪城へ向かう人は多く、それほどではないが、神社のほうへもぽつりぽつりと参拝客が訪れて途切れることがなかった。ただ、何かの準備であろうか、神社の方が慌ただしい雰囲気であった記憶がある。その雰囲気に呑まれたのか、ほとんど境内の写真を撮影しておらず、使える写真は境内社を撮った下の2枚だけ。 なお、参拝の約1ヶ月後に豊臣秀吉の銅像が境内に復元・除幕されたようである。 |
白玉神社 | 若水神社 |
中央の墨書は「大阪城 豊國神社」。朱印も同じく「豐國神社」。
2013.09.29
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