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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

今宮戎神社
〔いまみやえびすじんじゃ〕

今宮戎神社拝殿

今宮戎神社 (いまみやえびすじんじゃ)
御祭神 天照坐皇大御神〔あまてらしますすめおおみかみ〕
事代主命〔ことしろぬしのみこと〕
〈配祀〉
素盞嗚命〔すさのおのみこと〕
月読命〔つきよみのみこと〕
若日女命〔わかひるめのみこと〕
鎮座地 大阪市浪速区恵美須西一丁目6−10 (Mapion/googlemap
創建年代 伝・推古天皇8年(600)
社格等 旧郷社 別表神社
由緒 社伝によれば、推古天皇8年(600)、聖徳太子が四天王寺を建立された際に、西方の鎮護として祀られたという。翌9年(601)には太子自ら市の神として祈願されたと伝えられる。
当社の北東には廣田神社があり、ちょうど西宮市の西宮神社廣田神社と同じような位置関係にあることから、その関わりを指摘する向きもある。
当地には平安時代の中頃、御厨子所が設けられ、宮中に海の幸を奉献していた。南北朝時代に中断したが、弘治3年(1557)後奈良天皇の綸旨により復活し、明治初年まで毎年正月に鮮魚を献進した。
この役を滞りなく勤めるため、京都に供御人詰所を拝領していたが、その場所が八坂神社の氏地であることから、祇園祭に賀輿丁(神輿を担ぐ人)を送る慣わしが慶応4年(1868)まで続いた。また、その由縁により、現在も今宮戎神社から八坂神社には祇園祭に際しては幣帛を、大晦日には鯛を奉納している。また、1月の十日戎に際し、8日に行われる献茶式に先立ち、八坂神社から献茶に使用する御神水が奉納される(これについて、八坂神社においては、八坂神社の氏子が今宮に移り住んだとき、同社の北向蛭子社の御分霊を勧請したのが今宮戎神社の創祀であるからと説明している)。
さらに、平安時代の後期から四天王寺の西門で「浜の市」が開かれるようになり、その市の守り神として今宮戎神社のえびす様が祀られるようになった。その関わりから、神仏分離までは9月18日の祭礼に神輿が四天王寺西門まで渡御し、四天王寺楽人による舞楽奉納の神事が行われていた。
室町時代以降、庶民の信仰が篤くなり、特に江戸時代になると商売繁盛・福徳円満の守護神として広く信仰を集めるようになった。旧社殿は豊臣秀頼の寄進と伝えられるが、戦災のために焼失した。
「商売繁盛で笹もってこい」の福笹で知られる1月の十日戎は江戸時代の初め頃に始まり、元禄の頃には現在と同じような祭礼として大変な賑わいを見せていたという。現在では、9日から11日までの3日間で百万人を超える参詣者が集まるという。
例祭 1月9〜11日(十日戎)
※1月3日/お千度
※1月7日/餅つき神事
※1月8日/八坂神社御神水奉納式・献茶式・舞楽奉納
※1月9日/宵戎
※1月10日/本戎
※1月11日/残り戎
神事・行事 4月10日/乙姫稲荷初午祭
5月5日/こどもの日祭
7月17日/京都八坂神社祇園祭神幸祭参列
7月22〜23日/こどもえびす祭
10月第3土曜日/なにわ七幸まつり
12月13日/御幣たち
12月31日/京都八坂神社献鯛行事
巡拝等 神仏霊場45番 なにわ七幸めぐり 大阪七福神(恵比寿)
公式サイト http://www.imamiya-ebisu.jp/
メモ 参拝前のイメージはテレビなどで見る十日戎の人混みだったので、実際に参拝してみると境内が意外に狭いという印象。社殿の周囲は白い玉砂利を敷いた広場になっており、境内社や手水舎、社務所などもその周囲に位置しているため、ガランとした印象。写真を撮っている間も二人ほどの参拝者を見かけただけで、参拝前に持っていた熱気あふれるというイメージが嘘のような静かさだった。東京でいえば、酉の市で名高い浅草の鷲神社に似ているかもしれないなあと思ったり。
三輪鳥居 大国社
三輪鳥居 大国社
乙姫稲荷社 本殿
乙姫稲荷社 本殿
今宮戎神社の御朱印

墨書は「えびす大神」。中央の朱印は「今宮戎神社」、右上は鯛に「今宮」、左下は「摂津 今宮戎神社」。

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2011.09.21
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