元は大鳥連が自分たちの祖神を祀ったことに始まると考えられている。『新撰姓氏録』によれば大鳥連は大中臣朝臣(中臣連)と同族であり、天児屋根命を祖とする。しかし、長年にわたって日本武尊を祭神と伝えてきた。
明治4年(1871)祭神・日本武尊として官幣大社に列したが、同9年(1976)の『官社祭神考証』で祭神・大鳥連祖神とされた。歴代宮司は祭神を旧に復するよう訴えたが、同29年(1896)内務省通達により、大鳥連祖神を祭神とすることが確定された。昭和32年(1957)允許を得、同37年(1962)日本武尊を増祀して主祭神とした。
社伝によれば、伊勢国能褒野で薨去した日本武尊は白鳥と化し、この地に留まった。そこで社を建立したのが大鳥大社の起源とする。この地に白鳥が留まったとき、一夜にして樹木が生い茂ったとされることから、神域を「千種の森」と称する。
朝廷の崇敬篤く、弘仁14年(823)には祈雨の奉幣を受けた。承和9年(842)神階従五位下から従五位上に昇叙し、貞観元年(859)には従四位下、同3年(861)には従三位となる。延喜22年(922)までには正一位に極位していたようである。延喜式では和泉国唯一の名神大社に列し、月次・新嘗の官幣に預かる。さらに祈雨神祭八十五座の一にも数えられた。
中世には和泉国一宮とされた。武家からも尊崇され、織田信長は神領を安堵、豊臣秀頼は慶長7年(1602)に社殿を再興した。この時の社殿は大坂の陣で炎上したが、寛文2年(1662)徳川家綱の命により再建された。なお、現在の社殿は、旧社殿が明治38年(1905)に落雷で炎上したため、同42年(1909)に再建されたものである。
大鳥美波比神社・大鳥北浜神社・大鳥浜神社・大鳥井瀬神社の摂社四社はいずれも式内社で、本社と合わせて大鳥五社明神と称した。神宮寺は行基菩薩の開基と伝えられる大鳥山勧学院神鳳寺で、真政円忍律師が中興、真言律宗となる。明治の神仏分離で廃寺となり、跡地には大鳥美波比神社が遷座した。