墨書は「鎮座 玉作岡」。中央上の朱印は勾玉と抱き稲の神紋、下は「玉造稲荷神社」。
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玉造稲荷神社 (たまつくりいなりじんじゃ) | |
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御祭神 | 宇迦之御魂大神〔うかのみたまのおおかみ〕 〈相殿〉 下照姫命〔したてるひめのみこと〕 稚姫命〔わかひめのみこと〕 月読命〔つきよみのみこと〕 軻遇突智命〔かぐつちのみこと〕 |
通称・旧称 | 稲荷神社 豊津稲荷社 |
鎮座地 | 大阪市中央区玉造二丁目3−8 (地図表示:マピオン) |
創建年代 | 垂仁天皇18年(B.C.12) |
社格等 | 旧府社 |
由緒 | 社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)の創祀とされる。 用明天皇2年(587)聖徳太子は物部守屋との戦いに際し、玉作岡に陣を敷き、当社に祈願して「我に勝ちを与えるなら、これに枝葉を生ぜしめたまえ」と栗の白木を植えたところ、後に枝が伸び、若葉が生えたという。物部氏を討った後、自ら十一面観音と多聞不動の像を作り、長楽寺観音堂を建立して祀ったという。 天正4年(1576)兵火のために社殿・旧記等ことごとく焼失する。豊臣氏が大阪城を築くと、その守護神として崇敬を受けた。慶長8年(1603)豊臣秀頼は社殿・高殿(舞台)を建立するとともに社領500石を寄進。この時奉納された鳥居が今も残る。元和元年(1615)の大坂の陣の後、同5年(1619)大坂城代・内藤紀伊守や氏子らにより再建された。 文久3年(1863)大坂大火(新町焼)で社殿焼失、明治4年(1871)再建。昭和3年(1828)府社に昇格。現在の社殿は昭和20年(1945)の空襲で焼失した後、同29年(1954)に再建されたものである。 |
例祭 | 7月15・16日(夏祭) 10月14・15日(秋祭) |
神事・行事 | 1月15日/とんど 2月初午日/初午祭 10月体育の日/だんご茶会 12月28日/初詣・伊勢迄歩講出発 |
公式サイト | http://www.inari.or.jp/ |
メモ | 大阪城からほど近い住宅地の中にある。大阪の歴史の発祥となる上町台地上にあり、付近には仁徳天皇の難波高津宮以来、何度か都城が置かれた。『日本書紀』には難波玉作部の名が見え、玉造の辺りが古くから開かれた土地であったことをうかがわせる。境内には、切妻造家形埴輪をかたどった難波・玉造資料館があり、古代の玉類などが展示されている。 |
参道と鳥居 | 注連柱 |
万慶稲荷神社・新山稲荷神社 | 胞衣塚大明神 |
豊臣秀頼公奉納鳥居 | 大阪三十三観音第10番の碑 |
秋田實笑魂碑 | 本殿 |
墨書は「鎮座 玉作岡」。中央上の朱印は勾玉と抱き稲の神紋、下は「玉造稲荷神社」。
2013.09.29
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