御祭神は人皇第一代の神武天皇と、その皇后・媛蹈韛五十鈴媛命である。
神武天皇は日向の高千穂の宮より東に向かい、さまざまな苦難の後に大和を平定した後、辛酉の年の1月1日(西暦の紀元前660年2月11日とされる)畝傍山の東南の橿原宮で初代の天皇として即位された。
明治10年代(1877~86)、橿原宮を顕彰しようという運動が高まり、民間有志より宮址碑の建立や神武天皇を祀る神社創建の出願が相次いだ。明治22年(1889)政府は神社創建を認可し、社殿として京都御所の賢所と神嘉殿が下賜されることになった。
明治23年(1890)1月、賢所・神嘉殿の移築が完了、同3月、社号を橿原神宮とし、官幣大社に列することとなった。そして同4月2日、勅使が参向して鎮座祭が執り行われた。
以後も宮域の拡張整備や社殿の修築・造営が行われたが、御鎮座50年の昭和15年(1940)は紀元2600年となることから、奉祝記念事業として社殿の修築、境域と神武天皇陵の拡張整備、外苑の建設などが計画された。特に境域の拡張と外苑の建設については勤労奉仕で行われることとなり、7,200団体、のべ121万人余りが参加したという。
こうして迎えた昭和15年には正月三が日に約125万人、2月11日の紀元節には約70万人が参拝するなど空前の盛り上がりを見せ、年間の参拝者は1,000万人に達したという。6月11日には昭和天皇が行幸された。
以来、今日も神武天皇の「八絋為宇(天下を一つの家のように=世界平和・共存共栄)」との「天業恢弘(高天原を地上に実現させ、ひろめること)」という建国の理念と御聖徳を景仰し、日本と世界の平和、人々の幸福、皇室の弥栄を祈り続けている。