中央上の朱印は三つ盛亀甲に五三桐の神紋、下は「櫛田神社」。
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櫛田神社 (くしだじんじゃ) | |
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御祭神 | 大幡主大神〔おおはたぬしのおおかみ〕(櫛田宮) 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕(大神宮) 素盞嗚大神〔すさのおのおおかみ〕(祇園宮) |
鎮座地 | 福岡県福岡市博多区上川端町1−41 (Mapion/googlemap) |
創建年代 | 出雲崗神社/伝・孝霊天皇の御代 湯神社/伝・景行天皇の御代 |
社格等 | 旧県社 別表神社 |
由緒 | 古代から港湾都市として栄えてきた博多の総鎮守。博多祇園山笠、博多おくんち、博多どんたくなどの盛大な祭礼が営まれることでも知られている。 中殿に大幡主大神(櫛田宮)、左殿に天照皇大神(大神宮)、右殿に素盞嗚大神(祇園宮)を祀る。拝殿の内中央には「櫛田神社」、左殿の前には「天照大神」、右殿の前には「須賀大神」の扁額がかかる。因みに櫛田宮の神紋は三つ盛亀甲に五三の桐、祇園宮が木瓜、大神宮は桜のようである。 天照皇大神の鎮斎は時代が古く、不詳であるという。大幡主大神は天平宝字元年(757)、伊勢国松阪の櫛田神社から勧請したものとされる(平安時代の末頃に佐賀県神埼市の櫛田宮から勧請したという説もある)。また、素盞嗚大神は天慶4年(941)藤原純友の追討に当たった追捕使・小野好古が山城国の祇園社に戦勝を祈願し、その奉賽として勧請したと伝えられる。 以来、社頭繁栄したが、戦国時代に博多は何度も兵火に罹り、荒廃してしまった。天正15年(1588)豊臣秀吉は博多の復興の際に現在の社殿を再建した。 豪快な追い山で知られる博多祇園山笠は祇園宮(素盞嗚大神)の大祭。『九州軍記』永享4年(1432)6月15日の条にあるのが文献上の初見である。 伝承によれば、仁治2年(1241)博多に疫病が流行したとき、承天寺の開山である聖一国師(円爾弁円)が、町民の担ぐ施餓鬼棚に乗って甘露水を撒き、病魔退散を祈願したのが始まりとされる。 |
例祭 | 祇園例大祭/7月1日〜15日(博多祇園山笠) 秋季大祭/10月23日〜24日(博多おくんち) |
神事・行事 | 2月2日/節分福迎祭(鬼神楽) 2月3日/節分大祭(博多節分) 3月12日/ぎなん祭 3月27日/浜宮鎮座祭 5月3日〜4日/春季大祭(博多どんたく) 9月28日/ぎなん落とし 12月2日/夫婦恵比須宵祭(千座式) 12月3日/夫婦恵比須大祭(千座式) 12月22日/煤掃祭 |
文化財 | 〈無形民俗文化財〉博多祇園山笠行事 〈県有形文化財〉梵鐘 剣(銘:信国) 剣(銘:筑前国住信国源吉次) 博多津要録 蒙古碇石(2個) 〈県有形民俗文化財〉力石 博多松ばやしの古面(6面) 博多祇園山笠絵馬(44面) 〈県無形民俗文化財〉博多松ばやし 〈県天然記念物〉櫛田の銀杏 |
紹介サイト | http://www.hakatayamakasa.com/kushida.html(博多祇園山笠公式サイト) |
メモ | 境内には興味深いものが多い。県指定天然記念物の櫛田のぎなん(銀杏)は樹齢が千年以上という。干支恵方盤は、その年の恵方を示すもので、毎年大晦日に矢印を回転させて新しい年の恵方を示すそうだ。博多塀は博多上人・嶋井宗室の屋敷跡から移築されたもの。 拝殿の破風にある風神・雷神の彫刻は、暴風雨を起こそうと誘っている雷神に対して、風神があっかんべえをして逃げている様子を表している。カラッとしてユーモアがあふれる博多っ子の気質を表しているといわれる。 |
鳥居と楼門 | 干支恵方盤 |
櫛田のぎなん(銀杏) | 恵比須神社 |
博多塀と川上音二郎碑 | 霊泉・鶴の井戸 |
博多雷神 | 博多風神 |
中央上の朱印は三つ盛亀甲に五三桐の神紋、下は「櫛田神社」。
2011.02.23
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