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古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第88番
遍照山 文殊院
へんじょうざん もんじゅいん

文殊院本堂

遍照山 高野寺 文殊院 (へんじょうざん こうやじ もんじゅいん)
本尊 弘法大師
創建年代 慶長5年(1600)
開山 木食応其上人
宗派 高野山真言宗
所在地 東京都杉並区和泉四丁目18−17 (Mapion/googlemap
御詠歌 南無薬師 諸病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺
メモ 御府内八十八ヶ所の結願寺。江戸時代は白金台町(現在の白金二丁目)にあったことから白金高野寺と呼ばれ、高野三方の一である行人方の江戸在番所・触頭であった(因みに学侶方は芝二本榎の高野寺=現在の高野山東京別院、聖方は本所一ツ目の大徳院)。
寺伝によれば、高野山に興山寺(行人方の本寺で、明治に学侶方の青巌寺と合併して金剛峯寺となった)を建立した木食応其上人を開山として、慶長5年(1600)駿府に創建されたとされる。ただし、これは勧請開山で、実際には興山寺二世の勢誉によって開かれたものであろうという。当時は興山寺と称していた。
興山寺三世応昌のとき、浅草に2700坪の寺地を拝領し、江戸に移転してきた。しかし、元禄7年(1694)に学侶方と行人方の対立で行人方が敗訴したため、寺地を没収されてしまう。同9年(1696)白金台町に高野山総分方(行人方)在番所、白金高野寺として再建された。本尊の弘法大師像は安産の霊験で信仰を集め、大奥の女中たちも参詣に訪れたという。
大正9年(1920)区画整理のため、現在地に移転。しかし昭和20年(1945)戦災のため、堂宇等一切焼失してしまい、同29年(1954)に本堂が再建された。
本堂前には四国霊場のお砂踏みがある。また、境内には高野山開創の様子を表したと思われる二頭の犬に先導された弘法大師像があり、興味深い。
写寺 医王山 大窪寺
八十八ヶ所大意 高野寺 白金台町
〈本尊〉弘法大師
高野山行人方在番所 ◇触頭・独礼
門前風景 文殊堂
門前風景 文殊堂
高野山開創の弘法大師像 四国霊場のお砂踏み
高野山開創の弘法大師像 四国霊場のお砂踏み
文殊院の納経印

中央の文字は弘法大師を表す弥勒菩薩の種字「ユ」に「弘法大師」、。中央の朱印は同じく梵字の「ユ」、右上は「御府内霊場第八十八番 結願寺」、左下は「高野寺文殊院」。

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2010.12.15
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