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天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳
【略縁起】
寺伝によれば、大宝年間(701〜04)義淵僧正による開創で、年号に因んで大宝院と称したという。和銅年間(708〜15)田村神社が讃岐国の一宮に定められた際、行基菩薩によって第一別当に定められ、寺号を一宮寺と改めたとされる。大同年間(806〜10)弘法大師が留錫し、堂宇を修築するとともに、聖観音の像を刻んで本尊としたと伝えられる。
延宝7年(1679)高松藩主・松平頼重により神仏分離が行われ、田村神社は唯一神道となり、一宮寺は別当を解かれた。元は他の一宮と同じく田村神社が札所であったが、これ以降は一宮寺が札所となっている。
【納経印】
文字部分は印判で、「奉納妙典 四國八十三番 サ(聖観音の種字)正観世音宝前 讃州神毫山 一宮寺」。中央上の宝印は十六八重菊の御紋。右上は「四國八十三番」、左下は「大宝院侏」のようである。なぜ「侏」の字が入るのかはわからない。「院主」の「主」の意味かとも考えたのだが、諸橋大漢和にもそのような意味や用例はないようだ。
【所在地】讃岐国香川郡一宮村(香川県高松市一宮町)
【本尊】聖観世音菩薩
2013.10.06
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