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古今御朱印研究室

四国八十八ヶ所

第73番奥之院
捨身ヶ嶽禅定
しゃしんがたけぜんじょう

捨身ヶ嶽禅定

出釈迦寺奥之院 捨身ヶ嶽禅定 (しゅっしゃかじおくのいん しゃしんがたけぜんじょう)
本尊 弘法大師
創建年代
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
所在地 香川県善通寺市吉原町 (地図表示:マピオン)
御詠歌  
メモ 標高481mの我拝師山〔がはいしさん〕はもともと倭斯濃山〔わしのやま〕といった。弘法大師が真魚〔まお〕と呼ばれていた7歳のとき、この山に登り、仏門に入って衆生を救済したいという願いがかなうならば霊験を現すよう、もしかなわないのであれば我が身を以て諸仏を供養すると念じて、断崖より飛び降りた。すると紫雲が湧き起こって釈迦如来が出現し、天女が真魚を受けとめた。そして釈迦如来は「一生成仏」と告げた。
願いが成就することを告げられた大師は感激し、釈迦如来の姿を刻んで一宇を建立した。この時、倭斯濃山も我拝師山と改められたと伝えられる。これが73番札所出釈迦寺の縁起である。
出釈迦寺の脇の道を進んでいくと我拝師山に登る参道がある。石灯籠の並ぶ参道を頂上近くまで登っていくと山門があり、立派なお堂が見えてくる。これが根本御堂で、お釈迦様が現れたと伝えられる場所である。元はここが出釈迦寺であったが、江戸時代に山麓の現在地に移転した。
弘法大師が飛び降りたという捨身ヶ嶽禅定は、根本御堂の脇の登山道をさらに登ったところにある。かなり急な山道で、鎖をつたって岩を登るようなところもある。上の写真でいえば、お堂(鐘楼)と頂上の中間にある岩場である。下を覗くと、ちょうど根本御堂の屋根が見える。
捨身ヶ嶽禅定の納経印は根本御堂でいただけるが、出釈迦寺の納経所でも可能のようである。
参道入り口 西行法師禅定御遺跡
参道入り口 西行法師禅定御遺跡
山門 根本御堂
山門 根本御堂
捨身ヶ嶽禅定の登り口 稚児大師
捨身ヶ嶽禅定の登り口 稚児大師
護摩壇 我拝師山山頂
護摩壇 我拝師山山頂
捨身ヶ嶽禅定の納経印

中央の文字は弥勒菩薩の種字「ユ」に「誓願捨身」。弘法大師は弥勒の誓願に住しているということから弥勒菩薩と同一視され、弥勒菩薩の種字を用いる。中央の朱印は「ア」、右上は「捨身ヶ嶽」、左下は「出釈迦寺奥之院禅定」。

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2010.03.17
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