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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

富士山本宮 浅間大社
ふじさんほんぐう せんげんたいしゃ

浅間大社社殿

富士山本宮 浅間大社 (ふじさんほんぐう せんげんたいしゃ)
御祭神 浅間大神(木花之佐久夜毘売命) 〈相殿〉瓊々杵尊 大山祇神
鎮座地 静岡県富士宮市宮町1−1 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大) 旧官幣大社 駿河国一宮 別表神社
公式サイト http://fuji-hongu.or.jp/

富士山本宮浅間大社の御由緒

富士山を神体山として祀る。甲斐国一宮の浅間神社〔あさまじんじゃ〕をはじめ、全国に1,300余あるという浅間神社〔せんげんじんじゃ/あさまじんじゃ〕の総本社である。延喜元年(901)駿河国府の近くに御分霊を勧請した静岡浅間神社を新宮と呼ぶのに対して、本宮と称するようになった。

浅間(せんげん)は本来「アサマ」と読んだ。信州の浅間山に代表されるように「アサマ」と名付けられた火山が各地にあり、また九州の「阿蘇山」などもあるところから、荒々しい火山を意味する言葉ではなかったかという説がある。あるいは伊勢の朝熊山〔あさくまやま〕なども含めて霊威の高い神山を意味したともいう。その抜きんでた存在として、富士山の神に用いられるようになったと考えられる。

浅間大神は木花之佐久夜毘売命(大山祇神の娘で瓊々杵尊の妃神)と同一視されている。木花之佐久夜毘売命は身の潔白を証すため、火中に身を投じて御子を生んだ。このため、火に強い水徳の神と崇められ、噴火する富士山を鎮める願いがあったのではないかとされる。因みに伊豆の三嶋大社に祀られる大山祇神は木花之佐久夜毘売命の父神である。

また、「センゲン」が千手千眼観音〔せんじゅせんげんかんのん〕の名に通じるところから習合が進み、「富士菩薩」「仙元大菩薩」などとも呼ばれた。

社伝によれば、孝霊天皇の御代(B.C.290〜B.C.215)、富士山が噴火して国中が荒廃した。そこで、垂仁天皇3年(B.C.27)山麓に浅間大神を祀り、富士山の山霊を鎮めた。これが創祀であるという。

景行天皇の御代(71〜130)日本武尊〔やまとたけるのみこと〕は東国征伐の途中、浅間大神の神助を得て危難を逃れた。その神恩を感謝して、現在の山宮(本社の北東約6km)において浅間大神を祀った。山宮には今も社殿がなく、磐座〔いわくら〕によって祭祀を行う古代の姿を残している。

現社地に遷座したのは大同元年(806)のこととされる。平城天皇の勅命により、坂上田村麻呂〔さかのうえのたむらまろ〕が社殿を造営した。以来、朝野の篤い尊崇を受けた。延喜式では駿河国唯一の名神大社。永治元年(1141)には正一位に極位した。

武門においても源頼朝は神領を寄進し、富士の巻狩の際には流鏑馬〔やぶさめ〕を奉納している。これが現在も続く流鏑馬祭の始まりという。源実朝が社殿を造営、北条義時・足利尊氏・武田信玄・勝頼親子らが社殿を修造している。

豊臣秀吉は社領787石を、徳川家康は867石を寄進している。また、家康は関ヶ原の戦勝の奉賽として社殿を建立した。現在の本殿・幣殿・拝殿・楼門はこのときのものである。さらに富士山の八合目以上を社地として寄進した(その所有権について国と裁判で争ったが、最高裁の判決により、浅間大社の境内地であることが確認された)。

江戸時代になって富士信仰が広がり、信仰のための登山が盛んになると、浅間大社は表口として栄えた。

明治4年(1871)国幣中社に列し、同29年(1896)官幣大社に昇格した。一方で廃仏毀釈の嵐もすさまじく、浅間大社をはじめ、山麓五つの浅間神社の宮司を兼任した宍戸半〔ししど なかば〕(扶桑教初代管長)が明治7年(1874)地方官を引き連れて富士に登り、貴重な仏具や堂宇をことごとく破却した。それ以前、富士山頂には数多くの仏像が並んでいたというが、その名残はまったく残っていない(現在の奥宮は元は大日堂であり、久須志神社〔くすしじんじゃ〕は薬師堂であった)。

戦後は富士山本宮浅間神社と称し、昭和57年(1982)富士山本宮浅間大社と改めた。

富士山本宮浅間大社の御朱印

富士山本宮浅間大社御朱印

中央の朱印は「浅間大社」、上は「富士山本宮」、右は「駿河国一之宮」。

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富士山本宮浅間大社の概要

名称 富士山本宮 浅間大社
旧称 浅間神社(あさまじんじゃ・せんげんじんじゃ)
御祭神 浅間大神(木花之佐久夜毘売命)〔あさまのおおかみ(このはなさくやひめのみこと)〕
〈相殿〉
瓊々杵尊〔ににぎのみこと〕
大山祇神〔おおやまづみのかみ〕
鎮座地 静岡県富士宮市宮町1−1
創建年代 伝・垂仁天皇3年(B.C.27)
社格等 式内社 旧官幣大社 駿河国一宮 別表神社
延喜式 駿河國富士郡 淺間神社 名神大
例祭 11月4日(3〜5日神賑行事)
神事・行事 4月1日/桜花祭
4月初申/初申祭
4月9日/富士山境内地確定記念祭
5月4〜6日/流鏑馬祭
6月30日/禊神事・火鑚神事
7月1日/開山祭
7月毎土曜日/表富士燈回廊
7月7日/御田植祭
7月11日/富士山頂上奥宮開山祭
8月15日/富士山頂上奥宮例祭
9月7日/閉山祭
9月26日/富士大宮司家墓前祭
11月4日/献詠短歌披講式(例祭)
文化財 〈重文〉本殿 絹本著色富士曼荼羅図 脇差(銘:信国・号:浅間丸) 太刀(銘:景光) 〈特別天然記念物〉湧玉池 〈特別名勝〉富士山 〈県有形文化財〉拝殿 楼門 富士浅間曼荼羅図 鉄板札紅糸威五枚胴具足 青磁蓮弁文大壺 青磁浮牡丹文香炉 人形手青磁大茶碗(附:屈輪彫天目台) 〈県無形民俗文化財〉富士宮囃子
境内から富士山を望む 大鳥居
境内から富士山を望む 大鳥居
神門 本殿
神門 本殿
湧玉池 七之宮
湧玉池 七之宮

メモ
朱塗りの二重楼閣という浅間造りの社殿が緑に映える。御祭神・木花之佐久夜毘売命にふさわしい優美な姿である。
初めての参拝時は桜の花が咲き始め、天気にも恵まれて富士山が美しかったが、社殿が改修中で残念な思いをした。二度目の参拝時は社殿改修も終わり、浅間造りの社殿をゆっくり見ることができたが、天候は雨で、富士山を見ることはできなかった。
富士山からの湧水が毎秒3.6キロリットル湧き出すという湧玉池は国の特別天然記念物。かつて、富士宮口から登拝する人々は、ここで禊ぎをしたという。

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2007.09.17
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