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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

難波神社
〔なんばじんじゃ〕

難波神社拝殿

難波神社 (なんばじんじゃ)
御祭神 仁徳天皇〔にんとくてんのう〕
〈配祀〉
素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
倉稲魂尊〔うがのみたまのみこと〕
旧称 難波大宮 平野神社 稲荷社 稲荷宮
鎮座地 大阪市中央区博労町四丁目1−3 (地図表示:マピオン)
創建年代 伝・反正天皇の御代(406)
社格等 旧府社 単立神社
由緒 社伝によれば、反正天皇が即位して河内国丹比柴籬宮〔たじひのしばがきのみや〕(現在の松原市)に遷都された時、父帝・仁徳天皇を偲んで創建したとされ、仁徳天皇を祀る最初の神社とする。
天慶6年(943)朱雀天皇の勅命により摂津国平野郷(現在の大阪市天王寺区)に遷座し、摂津国の総社に定められて「難波大宮」あるいは「平野神社」と称されたという。さらに延久3年(1071)後三条天皇が住吉に行幸する途中で夢告を受け、素盞嗚尊と倉稲魂尊を合わせ祀るように命じたとされる。
天正11年(1583)豊臣秀吉による大坂城築城に伴い、当時上難波村と呼ばれていた現社地に遷座した。豊臣秀吉による庇護篤く、遷座に際しての立ち退き料は2千石であったという。また、住吉大社と当社のみが四方鳥居(境内の四方に鳥居を建てる)を許されていたという。しかし、大坂夏の陣で社殿が焼失し、さらに徳川幕府によって境内の9割を没収されてしまったという。
江戸時代には鎮座地に因んで「上難波宮」あるいは「仁徳天皇社」と称していたが、一般には「稲荷社」「稲荷宮」として知られていた。大阪でも随一の繁華の地であり、芝居や見世物小屋などが並び、多くの参詣者で賑わったという。、『摂津名所図会』にも「大坂一覧の時はまずここに詣ずるなるべし」とある。
特に人形浄瑠璃については、二代目植村文楽軒が東門内に小屋を設けて興行し、評判をとったことに始まることから、文楽発祥の地を称する。御堂筋に面した東の鳥居の脇には「稲荷社文楽座跡」の石碑がある。
明治8年(1875)社号を「難波神社」と改めた。同34年(1901)府社に昇格。昭和20年(1945)戦災のために鳥居と玉垣を除いて全焼。同49年(1974)現在の社殿が再建された。
御神木の楠は戦災で火傷を負いながらもたくましく生き抜いた市内中心部で最古の楠である。昭和43年(1968)大阪市の保存樹第一号に指定されている。
例祭 10月21日(秋祭)
神事・行事 2月節分の日/玉の緒祭
4月午の日/博労稲荷春祭
6月3日/菖蒲神事
6月3日/由加大祭(旅所)
7月21日・22日/氷室祭(夏祭)
11月15日/博労稲荷火焚祭
毎月1日及び2月節分/湯立神事(献湯)
公式サイト http://www.nanba-jinja.or.jp/
メモ 南御堂(真宗大谷派の難波別院)の南に鎮座する。坐摩神社・御霊神社と当社をあわせて船場三社というそうだが、当社のみが御堂筋に直接面している。御堂筋に面した東の鳥居のそばには、「稲荷社文楽座跡」の碑と「大坂三十三観音」の碑がある。近松門左衛門の『曽根崎心中』では、お初と徳兵衛が大坂三十三観音を巡って臣従するが、当社はその32番であった。
三方に鳥居を設けているためと売り抜けに便利なようで、次々に人が通り抜けているのだが、比較的神前に頭を下げる人が多いように感じられた。また、参拝を目的として来る人も少なくないようで、地元に定着した神社という印象を受ける。
本社の西側にある摂社・博労稲荷神社は船場の商人達の信仰を集めたそうで、当社が「稲荷社」として知られていたのもそのためらしい。『摂津名所図会』には「世人博労稲荷と称するは訛りなり」と書かれている。
ところで当社の御祭神について、主祭神を仁徳天皇とするのは問題ないのだが、公式サイトによれば配祀は素盞嗚尊のみが挙げられているのに対し、神社でいただいた由緒書には素盞嗚尊と倉稲魂尊の二柱が挙げられている。もしかすると博労稲荷に御祭神である倉稲魂尊も配祀として扱っているのかもしれないが、現時点では確認できていない。
鳥居 大坂三十三観音32番の碑
鳥居 大坂三十三観音32番の碑
稲荷社文楽座跡の碑 御神木
稲荷社文楽座跡の碑 御神木
末社 十四柱相殿神社 末社 金刀比羅神社
末社 十四柱相殿神社 末社 金刀比羅神社
摂社 博労稲荷神社 本殿
摂社 博労稲荷神社 本殿
平成19年拝受の御朱印 平成24年拝受の御朱印

左は平成19年、右は平成24年に拝受の御朱印。中心の朱印は同じもので「難波神社」。19年のものは中央上に花菖蒲の神紋の朱印で、右に「仁徳天皇本宮」の墨書。24年のものは右に「御堂筋」の墨書と花菖蒲の神紋、中央下に花菖蒲。

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2012.06.20
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