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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

住吉大社
すみよしたいしゃ

住吉大社

住吉大社 (すみよしたいしゃ)
御祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后
鎮座地 大阪市住吉区住吉2-9-89 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大・月次相嘗新嘗) 二十二社 旧官幣大社 摂津国一宮 別表神社
公式サイト http://www.sumiyoshitaisha.net/

住吉大社の御由緒

全国に約2,300社あるという住吉神社の総本宮。摂津国の一宮であり、また二十二社の一つとして朝野の深い崇敬を受けた。

住吉三神は、伊弉諾尊〔いざなぎのみこと〕が禊祓をしたときに出現した神であることから祓を司る神とされる。
また海上安全の神としても古くから信仰され、遣唐使の際には朝廷から奉幣があり、海路の無事を祈るのが慣例であった(江戸時代まで、住吉神社の社前は海岸であった)。さらに和歌の神としても知られ、明石の柿本神社、和歌浦の玉津島神社とともに和歌三神〔わかさんじん〕と称される。
たびたび現世に人の姿を取って現れたという伝承もあり、現人神〔あらひとがみ〕としての信仰もある。

日本書紀などによれば、神功皇后の三韓征伐に際して住吉三神が託宣し、男児の誕生を予言するとともに、加護を約束した。凱旋に際しても神託があり、それに従って、荒魂〔あらみたま〕を穴門の山田邑に鎮祭した(下関市の住吉神社)。
さらに務古水門〔むこのみなと〕において、和魂〔にぎみたま〕を大津渟中倉長狭大津渟中倉之長峡大津渟中倉之長峡〔おおつのぬなくらのながを〕に祀れば、往来する船を守護するとの託宣があり、田裳見宿禰〔たもみのすくね〕に祀らしめたのが住吉大社の起こりである。後に、神功皇后も祀られるようになった。
なお、同時に務古水門での託宣で祀られるようになったのが、廣田神社・生田神社長田神社である。

延喜式においては名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の案上の官幣及び祈雨・八十島祭に預かった。天武天皇以来、天皇の行幸も数多い。鎌倉以降は歴代将軍はじめ、武家の崇敬も極めて篤く、楠木正成・足利尊氏・豊臣秀吉などは特に篤く敬った。後村上天皇は、9年間にわたって住吉大社を行宮としている。
江戸時代においても、徳川将軍はじめ諸大名の尊崇を受け、参勤交代の際に必ず参詣する大名も多かったという。

明治になって、摂社の生根神社・大依羅神社〔おおよさみじんじゃ〕・山阪神社・若松神社などが独立した。また、中世には坐摩神社を所管していた時期があることを窺わせる史料もある。

社殿は、第一本宮から第四本宮までがそれぞれ独立して本殿と拝殿を持つ独特の形式。第一本宮の前に第二本宮、その前に第三本宮と一列に並び、第三本宮の南側に第四本宮がある。いずれも西の方、瀬戸内海に向かっている。それぞれの本殿は住吉造と呼ばれる形式で、文化7年(1810)の建造。国宝に指定されている。

なお、江戸時代まで住吉大社の祭祀を司ったのは、田裳見宿禰の後裔の津守連〔つもりのむらじ〕である。その名は津(港)の守護職の意であろう。火明命を祖とし、尾張連などと同族になる。歴代奉仕して明治に至り、華族に列された。

住吉大社の御朱印

◆御本社の御朱印

住吉大社の御朱印(平成16年拝受) 住吉大社の御朱印(平成23年拝受) 住吉大社「神光照海」の御朱印(平成24年拝受)

左は平成16年、中央は平成23年拝受の御朱印。中央の朱印・墨書ともに「住吉大社」で、変更はない。右上の印は「摂陽第壱之宮」。平成23年のものは朱書きで「御鎮座千八百年」。右は平成24年拝受の御朱印で、墨書のみ「神光照海」。「住吉大社」と「神光照海」の墨書は、御朱印をお願いするときに選ぶことができる。

◆摂末社の御朱印

摂社・大海神社の御朱印 摂社・船玉神社の御朱印 摂社・若宮八幡宮の御朱印
摂社・大海神社 摂社・船玉神社 摂社・若宮八幡宮
末社・侍者社の御朱印 末社・楠くん社の御朱印 末社・種貸社の御朱印
末社・侍者社 末社・楠珺社 末社・種貸社
末社・大歳社の御朱印 末社・浅澤社の御朱印 宿院頓宮の御朱印
末社・大歳社 末社・浅澤社 宿院頓宮

上段左から摂社・大海神社(式内社)、摂社・船玉神社(式内社)、摂社・若宮八幡宮、中段左から末社・侍者社、末社・楠珺社、末社・種貸社(式内社)、下段左から末社・大歳社、末社・浅沢社、堺市の宿院頓宮(住吉大社・大鳥大社の御旅所)。

住吉大社の御朱印

大正8年 大正13年頃 大正10年代
時期不詳 昭和4年 昭和11年頃

上段左は大正8年のもの。上の印は「摂陽第弌之宮」。これは現在の印とほぼ同じで、明治の頃から使われている。下は「官幣大社住吉神社参拝章」。
上段中央は大正13年頃のもので、中央の印は「住吉大社」、現在の印と似ているが「吉」の上の線が長い。右上と下の「摂陽第弌之宮」「官幣大社住吉神社参拝之章」は大正8年のものと同じで、サイズが小さいように見えるのは、集印帖のサイズが少し大判であるため。
上段右は大正10年代のもので、上段中央とどちらが古いかは判断できない。印は右上が「摂陽第弌之宮」、中央が「住吉神社之章」で、どちらも明治時代から使われている。
下段左は時期不詳。大正末から昭和4年以前のものと考えられる。使用された期間はごく短いであろう。中央の「住吉大社」の印は昭和4年のものとよく似ているが、サイズや「社」の文字が違っている。右上の「摂陽第弌之宮」の印もサイズが小さいようである。左下は「官幣大社住吉神社」。
下段中央は昭和4年、右は昭和11年頃で、どちらも印は同じ。上が「摂陽第弌之宮」、下が「住吉大社」。昭和17年発行の『惟神の礎』に掲載されているのもこの印だが、枠が見えない。現在使われている印とよく似ているが、同じではないようだ。

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住吉大社の概要

名称 住吉大社
旧称 住吉神社 住吉大明神
御祭神 〈第一本宮〉
底筒男命〔そこつつのおのみこと〕
〈第二本宮〉
中筒男命〔なかつつのおのみこと〕
〈第三本宮〉
表筒男命〔うわつつのおのみこと〕
〈第四本宮〉
神功皇后〔じんぐうこうごう〕
鎮座地 大阪市住吉区住吉二丁目9−89
創建年代 伝・神功皇后11年(211)
社格等 式内社 二十二社 旧官幣大社 摂津国一宮 別表神社
延喜式 攝津國住吉郡 住吉坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
攝津國住吉郡 草津大歳神社 鍬靫 (論:末社 大歳神社)
攝津國住吉郡 大海神社二座 元名津守氏人神 (摂社 大海神社)
攝津國住吉郡 多米神社 (末社 種貸社)
攝津國住吉郡 船玉神社 (摂社 船玉神社)
例祭 7月31日(住吉祭/おはらい)
神事・行事 1月4日/踏歌神事
1月7日/白馬神事
1月13日/御結鎮神事
4月3日/松苗神事
5月1日/全国弓道大会
5月初卯の日/卯之葉神事
6月14日/御田植神事
7月海の日/神輿洗神事
7月31日/夏越祓神事
8月1日/神輿渡御祭
9月仲秋/観月祭
10月17日/宝之市神事
文化財 〈国宝〉本殿(附:瑞垣及び門) 〈重文〉摂社大海神社本殿(附:瑞垣及び門) 南門 東楽所 西楽所 石舞台 幣殿及び渡殿 南高蔵 北高蔵 末社招魂社本殿 摂社大海神社幣殿及び渡殿 摂社大海神社西門 (附:住吉松葉大記) 木造舞楽面/綾切(4面)抜頭(1面)貴徳番子(1面)皇仁庭(1面)秦王(1面)納曽利(1面) 太刀(銘:守家) 刀(銘:小野繁慶 奉納接州住吉大明神御宝前) 住吉神代記 〈重要無形民俗文化財〉住吉の御田植 〈選択無形民俗文化財〉住吉の御田植神事の芸能 〈史跡〉住吉行宮跡 〈登録有形文化財〉神館 〈府有形文化財〉住吉大社 太刀(銘:国輝 附:鳥頚太刀拵) 太刀(銘:治国 附:金梨子地衛府太刀拵) 剣(銘:吉道) 太刀(銘:有続〈陰陽刀〉 附:松鷺蒔絵糸太刀拵〈陰刀〉 附:雲龍蒔絵太刀拵〈陽刀〉) 鉄砲(銘:野田善清尭) 〈府記録選択・無形民俗〉夏越祭
巡拝等 神仏霊場42番
反橋(太鼓橋) 市戎大国社
反橋(太鼓橋) 市戎大国社
御田(御神田) 石舞台
御田(御神田) 石舞台
楯社(楯の御社・楯御前) 鉾社(矛の御社・鉾御前)
楯社(楯の御社・楯御前) 鉾社(矛の御社・鉾御前)
五所御前 第三本宮・第四本宮
五所御前 第三本宮・第四本宮
第二本宮本殿 第一本宮拝殿
第二本宮本殿 第一本宮拝殿

◆メモ
松の緑が印象的な境内。今では海から離れてしまった境内だが、かつては海辺近くにあったことを偲ばせる。しかし、この松も江戸時代には枯死が目立ち、それをきっかけに松の苗を植え、俳句を披露する松苗神事が始まったとのこと。
廻廊に囲まれた四つの本宮は、いかにも古代から尊崇されてきた大社という風格を漂わせる。しかし、さらに奥に入ると、人々の現世利益の願いに応える末社が並ぶ。招き猫が可愛らしい楠珺社〔なんくんしゃ〕をはじめとして、庶民的で親しみやすく、ちょっと俗っぽい雰囲気…いかにも浪速らしい…である。このギャップが住吉大社の魅力ではないかと思われる。
御朱印は本社の他、摂社の大海神社・船玉神社・若宮八幡宮、末社の侍者社・楠珺社・種貸社・大歳社・浅澤社も拝受できる。いずれも授与所でいただけるが、楠珺社の御朱印は・楠珺社でも拝受することができる(印影が異なる)。また、本社の御朱印は墨書を「住吉大社」「神光照海」から選ぶことが可能。

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2007.04.08
更新:2015.11.14
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