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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

石上神宮
いそのかみじんぐう

石上神宮拝殿

石上神宮 (いそのかみじんぐう)
御祭神 布都御魂大神 布留御魂大神 布都斯魂大神 〈相殿〉五十瓊敷命 宇摩志麻治命 白河天皇 石川臣命
鎮座地 奈良県天理市布留町384 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大・月次相嘗新嘗) 二十二社 旧官幣大社 別表神社
公式サイト http://www.isonokami.jp/

石上神宮の御由緒

古代、大和朝廷で軍事と鎮魂を司った物部氏の総氏神である。記紀にも石上神宮・石上振神宮などの記述があり、古くから朝廷の尊崇を受けた。古代においては朝廷の武器庫の役割も果たしていたと考えられている。

御祭神の布都御魂大神は佐士布都神〔さじふつのかみ〕ともいい、葦原中国〔あしはらのなかつくに〕平定の際、武甕槌命〔たけみかづちのみこと〕が帯びていた霊剣・平国之剣〔くにむけしつるぎ〕である。熊野山中で危機に陥った神武天皇の軍勢を救うために天から降され、高倉下〔たかくらじ〕を通じて神武天皇のもとにもたらされた。神武天皇が即位されてからは物部氏の祖・宇摩志麻治命により宮中で祀られたが、崇神天皇7年(B.C.91)石上高庭〔いそのかみのたかにわ〕の現社地に遷され、その5代の孫・伊香色雄命〔いかがしこおのみこと〕によって祀られることとなった。これが石上神宮の創祀である。

また、布留御魂大神は、物部氏の始祖・鐃速日命〔にぎはやひのみこと〕が天降る際に携えてきた天璽十種瑞宝〔あまつしるしとくさのみづのたから〕十種神宝〔とくさのかんだから〕)の霊力である。『先代旧事本紀〔せんだいくじほんぎ〕』によれば「ひふみの祓」を唱えながら十種神宝を振り動かせば、死者も生き返るほどの霊力があるとされる(参照「十種大祓」)。

さらに布都斯魂大神は、素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕が八岐大蛇〔やまたのおろち〕を退治した天十握剣〔あめのとつかのつるぎ〕の威霊であり、布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神を石上大神〔いそのかみのおおかみ〕と総称する。

石上神宮の天神庫〔あめのほくら〕には、各氏族や朝廷の莫大な武器や神宝が保管されていたとされる。延暦13年(794)桓武天皇の命によって石上神宮の神宝を平安京へ移すことになった。この時、石川吉備人は運搬に必要な人数を15万7千人余と答えたという。

平安以降も朝野の崇敬篤く、貞観9年(867)には神階正一位に進んだ。延喜式では「石上坐布都御魂神社 名神大」と記され、月次・相嘗・新嘗の官幣に預かった。永保元年(1081)には白河天皇が宮中の神嘉殿〔しんかでん〕を寄進し、拝殿とした。二十二社の制では中七社に列す。

中世には実質的な大和国守護となった興福寺が勢力を拡大し、石上神宮もその勢力下に入った(石上神宮の神宮寺である内山永久寺は興福寺大乗院に属していた)。これに対抗して、石上神宮を中心とする布留郷〔ふるごう〕の氏人はしばしば興福寺の勢力と争った(布留郷一揆)。

明治4年(1871)官幣大社に列し、同16年(1883)神宮号の復称が許される。

もともと石上神宮には本殿はなく、拝殿の背後に御神体・布都御魂剣などが埋められた禁足地〔きんそくち〕があった。明治7年(1874)大宮司・菅政友が官許をえて禁足地を発掘、御神体をはじめ多数の宝物が出土した。

大正2年(1913)禁足地に本殿が造営され、御神体が安置された。また、同じく禁足地に建てられた神庫〔ほくら〕には国宝の七支刀〔しちしとう〕他、禁足地から出土した宝物や伝世の神宝が収められている。

禁足地は現在も昔の通り、「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、立ち入ることはできない。

神宮寺の内山永久寺は、大和では東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ寺格を誇っていた。江戸時代の朱印地は971石、壮大な伽藍であったが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。今はその姿をまったく留めないが、石上神宮境内にある摂社・出雲建雄神社〔いずもたけおじんじゃ〕(式内社)の拝殿は永久寺から移築されたもので、現存する唯一の遺構である。また、本社拝殿を囲む廻廊には永久寺ゆかりの品が展示されている。

石上神宮の御朱印

石上神宮の御朱印(平成8年拝受) 石上神宮の御朱印(平成19年拝受)

左は平成8年、右は平成19年に拝受したもの。平成8年のものの文字は「石上祓宮」である。中央の朱印は「石上神宮」。

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石上神宮の概要

名称 石上神宮
旧称 布留大明神 布留社 石上社 石上振神宮 石上坐布都御魂神社
御祭神 布都御魂大神〔ふつのみたまのおおかみ〕
布留御魂大神〔ふるのみたまのおおかみ〕
布都斯魂大神〔ふつしみたまのおおかみ〕
〈相殿〉
五十瓊敷命〔いにしきのみこと〕
宇摩志麻治命〔うましまじのみこと〕
白河天皇〔しらかわてんのう〕
石川臣命〔いしかわのおみのみこと〕
鎮座地 奈良県天理市布留町384
創建年代 伝・崇神天皇7年(B.C.91)
社格等 式内社 二十二社 旧官幣大社 別表神社
延喜式 大和國山邊郡 石上坐布都御魂神社 名神大 月次相嘗新嘗
大和國山邊郡 出雲建雄神社 (論:摂社 出雲建雄神社)
例祭 10月15日(ふるまつり)
特殊神事 2月節分前夜/玉の緒祭
4月15日/春季大祭
6月30日/神剣渡御祭(でんでん祭)
10月1日/榜示浚神事
11月22日/鎮魂祭
文化財 〈国宝〉拝殿(付:棟札六枚) 摂社出雲建雄神社拝殿 七支刀 〈重文〉楼門 鉄楯(二枚) 色々威腹巻(付:兜・壺袖) 禁足地出土品(一括) 〈県有形文化財〉太刀(銘:義憲作) 須恵大甕 〈県有形民俗文化財〉石上神宮祭礼渡御図絵馬(二対四面) 〈県天然記念物〉石上神宮社叢 石上神宮鏡池生息ワタカ
巡拝等 神仏霊場19番
参道と鳥居 鏡池
参道と鳥居 鏡池
廻廊と参道 楼門
廻廊と参道 楼門
摂社・出雲建雄神社(式内社) 出雲建雄神社拝殿
摂社・出雲建雄神社(式内社) 出雲建雄神社拝殿

メモ
初めて御朱印をいただいたのは、平成8年に天理教の資料を収集するために天理を訪問した際。神社としては伊勢の内宮・外宮に次ぐ3番目の御朱印。まだ某教団で機関紙の編集をしていたころである。なぜ、わざわざ御朱印帳を持っていってまで参拝したか、というと、当時、幕末明治の新宗教=物部の霊脈の復権という説には関心を持っていたため。
天理教の「おぢば(お地場。天理教本部の中心にあり、人類創造の場とされる)」は古代の石上神宮の祭祀場であったという説もある。無論、文献や考古学的な根拠があるわけではないだろうが、石上神宮から巨大な天理教本部を見下ろしていると、現代に甦る古代の霊性というイメージにロマンがかき立てられる。

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2007.04.15
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