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古今御朱印研究室

諸国神社御朱印集

田村神社
たむらじんじゃ

田村神社拝殿

田村神社 (たむらじんじゃ)
御祭神 倭迹迹日百襲姫命 五十狭芹彦命 〈配祀〉猿田彦大神 天隠山命 天五田根命 (※以上五柱を田村大神と総称する)
鎮座地 香川県高松市一宮町286 (Mapion/googlemap
社格等 式内社(名神大) 旧国幣中社 讃岐国一宮 別表神社
公式サイト http://tamurajinja.com/

田村神社の御由緒

奥殿床下に定水井という深淵があり、古くはその水上に筏を浮かべて供物を供え、祭祀を行ったという。和銅2年(709)初めて社殿が建立されたと伝えられる。この深淵には龍が棲み、覗いたものは命を落とすと伝えられており、古来開かれたことがないという。

古くから朝廷の崇敬厚く、嘉祥2年(849)従五位下、元慶元年(877)正四位上、延喜式では名神大社に列し、建久元年(1190)正一位に極位する。また、讃岐国一宮として細川氏・仙石氏・生駒氏・松平氏など歴代領主の尊崇も厚かった。社領の寄進や社殿の造営がたびたびあった。領内が干ばつの時には、領主が必ず祈願したという。

当社の別当は四国83番札所一宮寺であり、元々は四国の他の一宮と同じく当社が札所であった。しかし延宝7年(1679)高松藩主で徳川光圀の子である松平頼常により神仏分離が行われ、唯一神道となった。明治4年(1871)国幣中社に列格。〈四国八十八ヶ所へ

田村神社の御朱印

御朱印 御朱印(四国曼荼羅霊場)
四国曼荼羅霊場

左は神社としての通常の御朱印、右は四国曼荼羅霊場の御朱印。中央の御朱印は、形は違うが、どちらも「田村神社之章」。いただいた時期が違うので(曼荼羅霊場の御朱印は平成20年1月)、御朱印を使い分けているのか、替わったのかは不明。左下は「讃岐国一宮印」。

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田村神社の概要

名称 田村神社
旧称 田村大明神 定水大明神 一宮大明神
御祭神 倭迹迹日百襲姫命〔やまとととひももそひめのみこと〕
五十狭芹彦命(吉備津彦命)〔いさせりひこのみこと(きびつひこのみこと)〕
〈配祀〉
猿田彦大神〔さるたひこのおおかみ〕
天隠山命(高倉下命)〔あまのかごやまのみこと(たかくらじのみこと)〕
天五田根命〔あめのいたねのみこと〕
※以上五柱を総称して田村大神〔たむらのおおかみ〕と呼ぶ
鎮座地 香川県高松市一宮町286
創建年代 和銅2年(709)社殿創建
社格等 式内社 旧国幣中社 讃岐国一宮 別表神社
延喜式 讚岐國香川郡 田村神社 名神大
例祭 5月7・8日(春季例大祭/御蚊帳垂神事)
10月7・8日(秋季例大祭/御蚊帳撤神事)
神事・行事等 1月15日/御火焚き祭(とんど祭)
2月3日/節分
7月7日/七夕
8月9・10日/燈籠祭
12月23日/人形供養
文化財 〈重文〉田村神社古神宝類(片添刃鉄鉾身・1口、瑞花双鳳禽獣鏡・1面、十二支八卦文鏡・1面、素文鏡・1面、素文八花鏡残闕・1片)
巡拝 四国曼荼羅霊場(11番) さぬき七福神(布袋尊) さぬき十五社
参道の大鳥居 宇都伎社
参道の大鳥居 宇都伎社
満蒙開拓の碑 桃太郎(倭迹迹日百襲姫と吉備津彦命)
満蒙開拓の碑 倭迹迹日百襲姫と吉備津彦命の像

メモ
表参道をまっすぐ進み、神門をくぐると正面に重厚な拝殿が鎮座する。東側には本社に劣らぬ宇都伎社・素婆倶羅社の立派な社殿がある。その他、桃太郎の姿をした御祭神のブロンズ像や回る十二支像、安産子宝犬、忠魂碑、海軍少年飛行兵の碑、満蒙開拓の碑など、見所がたくさんある。
琴電を使うと、表参道から参拝することになるが、車の場合は社殿裏の駐車場から裏参道を通るようになる。
四国霊場の旧札所だった神社として、琴弾八幡宮別宮大山祇神社などとともに四国曼荼羅霊場の札所となっている。

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2008.07.06
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