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宝 船
十番稲荷神社 (じゅうばんいなりじんじゃ) | |
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札所本尊 | 宝船 |
御祭神 | 倉稲魂命 日本武尊 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命 |
旧称 | 末広神社(末広稲荷)/竹長(竹町)稲荷神社 |
創建年代 | 末広神社:慶長年間(1596〜1615) 竹長稲荷神社:弘仁13年(822) |
所在地 | 東京都港区麻布十番一丁目4−6 (地図表示:マピオン) |
例祭 | 9月16・17日に近い土・日曜日 |
メモ | 旧坂下町にあった末広神社と旧永坂町に鎮座していた竹長稲荷神社が戦後に合祀され、十番稲荷と称するようになった。末広神社は慶長年間(1596〜1615)の創建と伝えられる。竹長稲荷神社は、弘仁13年(822)慈覚大師円仁が、八咫の神鏡をもって稲荷大神を勧請したことを創祀とするという。 両社は昭和20年(1945)戦災により焼失。同25年(1950)復興土地区画整理により、替え地として現在地に移転し、隣り合って鎮座した。その後、両社を合併し、現在に至る。 末広神社は稲荷社であったが、相殿に宗像三女神を祀っていたことから、「麻布稲荷七福神」の弁財天とされていた。因みに、末広神社の弁財天は江戸百社弁財天の一に数えられていたという。 また、竹長稲荷神社には安藤広重筆の宝船の画が伝わっていたことから、「麻布稲荷七福神」の宝船とされていた。残念ながら、戦災で画は焼失したが、その由緒により、港七福神の発足に際して十番稲荷神社を宝船とした。なお、宝船の朱印は竹長稲荷神社で授与していた朱印と同じデザインを用いているとのことである。 以前は、神社としての朱印も七福神の朱印も宝船の朱印に「十番稲荷神社」と墨書していたが、近年、神社の御朱印が社名の印になったのに伴い、七福神の墨書は「寶船」になったようである。〈東都神社御朱印集へ〉 |
2011.01.12
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