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古今御朱印研究室

御府内八十八ヶ所

第13番
和光山 大龍寺
わこうざん だいりゅうじ

大龍寺本堂

和光山 興源院 大龍寺 (わこうざん こうげんいん だいりゅうじ)
本尊 大日如来
旧称 不動院浄仙寺
創建年代 不詳
開基 光顕律師
宗派 真言宗霊雲寺派
所在地 東京都北区田端四丁目18−4 (Mapion/googlemap
御詠歌 阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世
巡拝 豊島八十八ヶ所21番
メモ 門前にある北区教育委員会の説明板には「この寺の創立は明らかではありませんが、慶長年間(1596〜1615)に不動院浄仙寺が荒廃していたのを天明年間(1781〜1789)になって、湯島霊雲寺光海の高足光顕が中興して『大龍寺』と改称したと伝えられています」とあり、ネット上でもこれに準拠した説明が多いようだ。
しかし、江戸の発展が始まった慶長年間に荒廃した寺が、百数十年経った天明年間に再興されるというのは、どうも腑に落ちない。慶長年間の開創、天明年間の中興であれば自然な気がするのだが。
隣接する上田端八幡神社の旧別当寺。境内墓地には正岡子規、宮廷音楽家E.H.ハウス(この人についてはよくわからない。音楽家ではなく、記者の間違いか?)、柔道家の横山作次郎などの墓がある。
御府内13番は、もともと霊岸島にあった円覚寺であり、三田の龍生院が引き継いだとされるが(円覚寺にあった標石も龍生院に現存する)、大龍寺も13番を称している。その経緯はよくわからないらしい。御府内の札所として参拝する人は少ないようで、御府内専用の納経帳の用紙を渡すと、ちょっと戸惑っているようだった。
なお、大龍寺は豊島八十八ヶ所の21番札所でもある。本四国の21番太龍寺とは「太」と「大」の点が一つ足りないだけの違い。選定者の洒落っ気が感じられるような。
写寺 大栗山 大日寺
八十八ヶ所大意 医王山 円覚寺 霊岸嶋白銀町一丁目
〈本尊〉薬師
高野山宝性院末
山門 正岡子規の墓
山門 正岡子規の墓
大龍寺の納経印

中央の朱印は胎蔵界大日如来の種字「ア」、左下は「和光山大龍寺」。

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2009.08.26
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