左は納経をすればいただける手書きの納経印、右は納経をしない場合に自分で押すスタンプ式のもの。
手書きの納経印は、中央の文字が「本尊大日如来」、右は「奉納経」。中央の朱印は金剛界大日如来の種字「バン」、右が「御府内第十八番」、左下は「愛染院印」。
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本 堂
独鈷山 光明寺 愛染院 (とっこざん こうみょうじ あいぜんいん) | |
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本尊 | 大日如来 |
創建年代 | 天正年間(1573〜92) |
開基 | 正済上人 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都新宿区若葉二丁目8−3 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 子を産めるその父母の恩山寺 訪ぶらいがたきことはあらじな |
メモ | 天正年間(1573〜92)、加藤清正の実弟・正済上人が麹町貝塚のあたりに開いたという。 ただし、門前の案内板には、「文政寺社書上」により、弘仁年間(810〜24)弘法大師が創建したと伝わる麻布善福寺(現在は浄土真宗本願寺派)の奥の院として建立されたとしている。五指量愛染尊を本尊とし、八祖相承の独鈷を納めたことから独鈷山愛染院と称し、慶長(1596〜1615)当時の開山である正斎を中興とするという。 慶長16年(1611)麹町から四谷に移り、さらに寛永11年(1634)現在地に移転した。かつては毎月26日、愛染詣りで賑わったという。 境内墓地には高松喜六、塙保己一の墓があり、いずれも新宿区の史跡に指定されている。高松喜六は内藤新宿の生みの親ともいうべき人物。塙保己一は『群書類従』を編纂した盲目の大学者である。 愛染院では、御朱印=納経印本来の主旨に基づくということで、写経を納めた場合のみ手書きの納経印を授与し、納めない場合は自分でスタンプ式のものを押すという形を取っている。私は、納経しないからこそ納経印をいただく習慣ができたのだという仮説を持っているので、納経印本来の主旨云々ということには賛同しかねるのだが、せっかくなら手書きのをいただきたいと思い、後日、写経を持って再度参拝した。 どちらかというと、そういう「正しいこと」の押しつけは好きではないのだが、強制しているわけではないし、実際に納経すればきちんと「奉納経」と書いてもらったし、対応も親切だったので、むしろ好感を持った。まあ、一ヶ寺ぐらい、きちんと写経するのもいいかもしれない。 とはいえ、一部写経するもそれなりに時間がかかるので、あちらもこちらも同じようにということになると大変なのだが…。 |
写寺 | 母養山 恩山寺 |
八十八ヶ所大意 | 十股山 光明寺 愛染院 四ッ谷南寺町 〈本尊〉愛染明王 大師御作 〈末寺〉二ヶ寺・塔頭二ヶ寺 〈開山〉正済上人 大塚護持院末 |
庚申塔と梵鐘 | 塙保己一の墓 |
左は納経をすればいただける手書きの納経印、右は納経をしない場合に自分で押すスタンプ式のもの。
手書きの納経印は、中央の文字が「本尊大日如来」、右は「奉納経」。中央の朱印は金剛界大日如来の種字「バン」、右が「御府内第十八番」、左下は「愛染院印」。
2009.07.15
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