中央の墨書は「本尊十一面観世音」。中央の朱印は弥勒菩薩の種字「ユ」で、弘法大師を表す。奥之院御影堂に祀られる弘法大師を表しているのだろうか。右上は「御府内十七番」、左下は「東高野山」。
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本 堂
東高野山 妙楽院 長命寺 (ひがしこうやさん みょうらくいん ちょうめいじ) | |
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本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年代 | 慶長18年(1613) |
開基 | 慶算阿闍梨 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都練馬区高野台三丁目10−3 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 面影を映してみれば井戸の水 結べば胸の垢や落ちなん |
文化財 | 〈都有形文化財〉板絵着色役者絵 〈都史跡〉東高野山奥之院 |
巡拝 | 武蔵野三十三観音1番 豊島八十八ヶ所17番 |
公式サイト | http://chomeiji.org/ |
メモ | 西武池袋線高野台駅からほど近く、笹目通り(環八通り)沿いにある。元は谷原山と号したが、大師信仰の高まりとともに高野山を模した奥之院が信仰を集め、東高野山と呼ばれるようになり、現在ではそちらを正式な山号としている。 谷原村に住んでいた増島重明(北条早雲の曾孫)は、甥の重俊に家督を譲って出家し、慶算と号した。高野山に登って木食勤行をしていた時、弘法大師の夢告により、讃岐国の弥谷寺(四国71番霊場)で生御影の大師像を感得した。慶算はこの像を谷原村に持ち帰り、一宇を建立して安置した。これが奥之院の草創で、慶長18年(1613)のことという。 増島重俊は慶算の遺志を継ぎ、高野山を模して大師堂を中心に奥之院を整備した。さらに金堂(観音堂)を建立。寛永17年(1640)長谷寺小池坊の秀算僧正が、本尊として長谷寺の十一面観音を模した像を安置し、谷原山妙楽院長命寺と号した。庶民信仰の寺として栄え、特に芝居関係者の信仰を集めたという。 境内は広く、見所も多いが、やはり山号の由来となった奥之院はぜひ参拝したい。高野山を彷彿とさせる「姿見の井戸」や「御廟橋」をはじめ、身代わり閻魔などの十王、十三仏その他のの石仏群、下駄履きで風呂敷を背負い、手にリンを持った姿のレリーフを彫った十二日講供養碑など、興味深いものが多い。全体が都の史跡に指定されている。 たびたび祝融の災に遭っているため、境内伽藍は比較的新しい建物が多い。本堂は明治37年(1904)の再建で、不動明王を祀っている。コンクリート造りの観音堂(金堂)には御本尊・十一面観音を安置。豪壮な南大門は昭和56年(1981)の建造である。 その中で、南大門の東にある仁王門は寛文年間(1661〜73)の建造であり、慶安3年(1650)銘の梵鐘とともに練馬区の文化財に指定されている。 |
写寺 | 瑠璃山 井戸寺 |
八十八ヶ所大意 | 谷原山 妙楽院 長命寺 谷原村 〈本尊〉十一面観音 大師御作 〈朱印地〉九石五斗余 〈末寺〉三ヶ寺 〈開山〉秀算僧正 和州初瀬小池坊末 奥院弘法大師 |
南大門 | 仁王門 |
鐘楼 | 観音堂(金堂) |
奥之院御影堂 | 奥之院の石仏群 |
中央の墨書は「本尊十一面観世音」。中央の朱印は弥勒菩薩の種字「ユ」で、弘法大師を表す。奥之院御影堂に祀られる弘法大師を表しているのだろうか。右上は「御府内十七番」、左下は「東高野山」。
2009.07.15
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