中央の文字は「御本尊 身代不動尊」。中央の朱印は不動明王の種字「カン」、右上は「第二十番」、左下は「鏡照院印」。
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身代山 玉泉寺 鏡照院 (みがわりさん ぎょくせんじ きょうしょういん) | |
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本尊 | 不動明王 |
創建年代 | 応永6年(1399)/慶長8年(1603) |
開基 | 宥俊阿闍梨 |
宗派 | 真言宗智山派 |
所在地 | 東京都港区西新橋三丁目14−3 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞゐます地蔵帝釈 |
メモ | 旧19番札所円福寺や67番札所真福寺などと同じく、愛宕権現社の開創に伴って愛宕山下に置かれた「愛宕下六院」の一である。近年、現在地に移転したという。 寺伝によれば、応永6年(1399)常陸国の海上に出現した「身代不動明王」を笠間の地で祀っていたという。慶長8年(1603)当時の住職であった宥俊阿闍梨がこの尊像を江戸に移し、愛宕下に改めて鏡照院が開かれた。この不動尊像は弘法大師の作と伝えられ、あらゆる災厄に際して、我々の身代わりに立ってくださるという。将軍家をはじめ、諸大名から帰依を得たとのことである。 開創時の札所は同じく愛宕下六院の一、愛宕山金剛院であった。 御府内八十八ヶ所の案内書などを見ると、寺宝である愛宕権現の本地仏・勝軍地蔵菩薩について、慶長15年(1610)の伽藍改修に際して鏡照院に祀られるようになったと書いてある。 しかし、愛宕山金剛院が愛宕権現社の本地堂であったことを考えれば、金剛院が廃寺となり、札所が鏡照院に引き継がれた際、ともに移されたものと考えるのが妥当ではないだろうか。 なお、御府内八十八ヶ所大意を見れば、金剛院について「円福寺寺中愛宕御本地堂」とある。円福寺は旧19番札所であった愛宕山別当の円福寺のことなので、まだ確認してはいないのだが、同一境内に二つの札所があったのかもしれない。 |
写寺 | 霊鷲山 鶴林寺 |
八十八ヶ所大意 | 愛宕山 金剛院 愛宕本地堂 〈本尊〉地蔵尊 円福寺寺中愛宕御本地堂 慶長八卯年御建立それより御代々御修覆所 |
中央の文字は「御本尊 身代不動尊」。中央の朱印は不動明王の種字「カン」、右上は「第二十番」、左下は「鏡照院印」。
2009.07.22
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