中央の墨書は「本尊 薬師如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は薬師如来の種字「ベイ」、右上は「第19番」、左下は「瑠璃山青蓮寺清光院」。
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前 景
宝珠山 遍照殿 東福院 (ほうじゅざん へんじょうでん とうふくいん) | |
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本尊 | 大日如来 |
創建年代 | 天正3年(1575) |
開基 | 祐賢法印 |
宗派 | 新義真言宗 |
所在地 | 東京都新宿区若葉二丁目2−6 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 太龍の常に住むぞや げに岩屋 舎心聞持は守護のためなり |
公式サイト | http://www.toufukuin.jp/ |
メモ | かつての四ッ谷南寺町、新宿通から東福院坂を下る途中にある。もちろん、坂の名前は当寺に由来するが、このあたりが牛頭天王社(現在の須賀神社)に因んで天王横町と呼ばれていたことから、別名・天王坂ともいったそうだ。向かいには18番札所の愛染院がある。 寺伝によれば、天正3年(1575)大澤孫右衛門尉が檀越となり、祐賢法印が麹町九丁目に創建した。その後、寺地が江戸城外郭に含まれることになったため、寛永11年(1634)現在地に移転した(慶長11年の創建とする資料が多いが、東福院の公式サイトに従う)。 『御府内八十八ヶ所大意』には本尊・弁才天とある。この弁才天は弘法大師の作と伝えられ、「出世弁天」として江戸百弁天に数えられていたという。 また、境内に祀られている豆腐地蔵は、大澤孫右衛門尉の曾孫が建立したものと伝えられるが、次のような伝説が残っている。 四谷天王横町に心根の悪い豆腐屋がいた。大変欲深く、高利貸しなども営んでいた。この豆腐屋のところに、毎晩、一人のお坊さんが豆腐を買いにきた。ところが、翌日になると代金がシキミの葉になっていた。怒った豆腐屋は狐か狸の仕業であろうと思い、豆腐を買いにきたお坊さんの手首を庖丁で切ってしまった。 翌朝、豆腐屋が血の跡をたどると、東福院の地蔵堂まで続いており、お地蔵様の手首が切れていた。驚いた豆腐屋は改心し、地蔵尊を信仰して真面目に働くようになったという。 以来、このお地蔵様は豆腐地蔵と呼ばれるようになり、切り落とされた手首をさすると傷・腫れ物が治るとして江戸の人々の信仰を集めたということである。 |
写寺 | 舎心山 太龍寺 |
八十八ヶ所大意 | 阿祥山 宝寿寺 東福院 四ッ谷南寺町 〈本尊〉弁才天 大師御作 大塚護持院末 |
豆腐地蔵 | 観世音菩薩像 |
中央の墨書は「本尊 薬師如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は薬師如来の種字「ベイ」、右上は「第19番」、左下は「瑠璃山青蓮寺清光院」。
2009.08.05
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