中央の墨書は聖観世音菩薩の種字「サ」に「聖観世音」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は「仏法僧宝」、右上は「弘法大師 御府内 第三十番」、左下は「高野山真言宗準別格本山光松山放生寺」。
古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 御府内八十八ヶ所 > 土佐国の写し霊場
本 堂
光松山 威盛院 放生寺 (こうしょうざん いじょういん ほうじょうじ) | |
---|---|
本尊 | 聖観世音菩薩 |
旧称 | 放生会寺 |
創建年代 | 寛永18年(1641) |
開山 | 良昌上人 |
宗派 | 高野山真言宗 準別格本山 |
所在地 | 東京都新宿区西早稲田二丁目1−14 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 人多く立ち集まれる一の宮 昔も今も栄えぬるかな |
公式サイト | http://www.houjou.or.jp/ |
メモ | 穴八幡宮の旧別当。放生寺の寺号は、創建以来厳修している放生会(とらえた生き物を山野や池水に放ち、殺生を戒め命を尊ぶ神事・法要。神仏習合時代の八幡宮において重視された)に因み、徳川家光が「放生会寺」と名付けたことによる。 かつて穴八幡宮は高田八幡宮と称していた。高田八幡の造営に尽力し、請われて社僧となった良昌上人が、別当寺(すなわち放生寺)を建立するため、同社の鎮座する高台の南の裾を切り開いているときに横穴が見つかり、中から金銅製の阿弥陀仏が現れたことから、以来、穴八幡と称するようになったという。 徳川将軍家の祈祷所とされ、葵の紋の使用と独礼の待遇を許されていた。また、虫封じの祈祷や冬至の一陽来福融通のお守りで庶民の間でも広く信仰を集めた(因みに、穴八幡宮では「一陽来復」、放生寺は「一陽来福」とする)。明治の神仏分離により、穴八幡宮から切り離された。 本堂の向かいには修行大師や地蔵菩薩、馬頭観音などと並んで神変大菩薩(役行者)を祀る窟がある。修験の始祖である神変大菩薩は、山野を駆けめぐって修行をしたということから、足腰の弱い人を救うとされるそうで、草履が入ったお守りを授与しているとのことである。 |
写寺 | 百々山 善楽寺 |
八十八ヶ所大意 | 光松山 威盛院 放生会寺 高田穴八幡 御祈願所 〈本尊〉阿弥陀 〈朱印地〉五十石以上格 ◇独礼 〈末寺〉三ヶ寺 〈開山〉良昌法印 高野山宝性院末 嵯峨院室 |
放生供養碑 | 馬頭観音・地蔵菩薩 |
修行大師 | 神変大菩薩 |
中央の墨書は聖観世音菩薩の種字「サ」に「聖観世音」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は「仏法僧宝」、右上は「弘法大師 御府内 第三十番」、左下は「高野山真言宗準別格本山光松山放生寺」。
2009.10.14
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.