中央の墨書は薬師如来の種字「ベイ」に「本尊薬師如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は同じく梵字の「ベイ」、右上は「御府内第二十九番」、左下は「大鏡山薬師寺南蔵院」。
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本 堂
大鏡山 薬師寺 南蔵院 (だいきょうざん やくしじ なんぞういん) | |
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本尊 | 薬師如来 |
創建年代 | 南北朝時代 |
開山 | 円成比丘 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都豊島区高田一丁目19−16 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益のこせり |
メモ | 三遊亭圓朝の名作『怪談乳房榎』ゆかりの寺として知られる。ただし、乳房榎は板橋区の松月院にあったようで、南藏院は作中で菱川重信が雄龍雌龍の天井画を描いたという設定になっている。現在の本堂は新しく建て替えられた鉄筋コンクリート造のもので、雄龍雌龍の天井画も現存しない。 開山の円成比丘は永和2年(1376)示寂と伝えられるので、創建は南北朝時代ということになるだろう。 本尊の薬師如来の木造は、円成比丘が奥州を巡っている時に平泉の農家から譲り受けたもので、藤原秀衡の念持仏であったと伝えられる。この仏像を笈に入れ、高田の里まで来たとき、急に笈が重くなり、ビクともしなくなった。円成比丘はここが有縁の地であることを悟り、草堂を建てて薬師像を安置した。これが南藏院の草創であるという。 江戸時代には「八ツ門寺」と呼ばれ、広大な境内を誇ったという。徳川家光は鷹狩りの際、たびたび南蔵院で休息したという。また下高田村の鎮守・氷川神社の別当でもあった。 手入れの行き届いた境内には「山吹の里弁才天」など多くの石仏や石塔がある。参道には「彰義隊九士の首塚」、墓地には片男波・花籠・音羽山・粂川・二子山・雷などの力士の墓があり、見所が多い。 なお、元の29番札所は牛込七軒寺町にあった千手院であったが廃寺となったため、南蔵院が札所を継承した。明治40年(1907)頃に開創されたという豊島八十八ヶ所は、御府内八十八ヶ所と重複する寺については札所番号を同じにしているが、南蔵院は41番で一致しない。これは豊島八十八ヶ所の開創当寺には未だ御府内の札所にはなっていなかったということで、札所を引き継いだのはそれ以降のことであろう。 |
写寺 | 摩尼山 国分寺 |
八十八ヶ所大意 | 三明山 清谷寺 千手院 牛込七軒寺町 〈本尊〉千手観音 毘首羯磨作 足立郡西新井惣持寺末 |
山吹の里弁才天 | 彰義隊九士の首塚 |
六地蔵 | 阿弥陀如来の石仏 |
中央の墨書は薬師如来の種字「ベイ」に「本尊薬師如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は同じく梵字の「ベイ」、右上は「御府内第二十九番」、左下は「大鏡山薬師寺南蔵院」。
2009.09.30
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