中央の墨書は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は胎蔵界大日如来の種字「ア」、右は「第四十二番」。
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本 堂
蓮葉山 妙智院 観音寺 (れんようざん みょうちいん かんのんじ) | |
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本尊 | 大日如来 |
創建年代 | 慶長16年(1611) |
開山 | 尊雄和尚 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
所在地 | 東京都台東区谷中五丁目8−28 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 草も木も仏になれる仏木寺 なお頼もしき鬼畜人天 |
メモ | もとは長福寺と称し、慶長16年(1611)、尊雄上人が神田北寺町に創建した。慶安元年(1648)周辺の寺院とともに谷中清水坂へ、さらに延宝8年(1680)現在地に移転した。因みに、隣接する64番加納院も同じように移転している。 門前には「赤穂浪士四十七士ゆかりの寺」の説明板がある。観音寺第六世朝山大和尚は四十七士の近松勘六の弟で、奥田貞右衛門の兄であった。当時、朝山和尚は観音寺の修行僧であり、浪士たちにいろいろ便宜を図り、また、吉良邸討ち入りの謀議のための場所を提供したという。本堂の前には赤穂浪士の供養塔がある。 大師堂の前の標石には「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総国諦信」の文字があり、御府内八十八ヶ所開創の事情を物語る遺品として貴重である。 また、この寺は平成4年(1992)に台東区の「まちかど賞」を受賞した土塀でも知られる。江戸時代の風情を残すこの塀は、谷中のシンボル的な存在になっているという。なお、この土塀について「築地塀」とされていることが多いが、こちらのブログによると、「練り塀」が正しいそうである。 |
写寺 | 一カ山 仏木寺 |
八十八ヶ所大意 | 蓮華山 妙智院 観音寺 谷中中門前 〈本尊〉大日如来 〈開基〉高雄上人 本所二ツ目弥勒寺末 |
山門 | 練塀 |
赤穂浪士供養塔 | 大師堂 |
中央の墨書は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は胎蔵界大日如来の種字「ア」、右は「第四十二番」。
2010.01.13
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