中央の墨書は「本尊大日如来」。中央の朱印は金剛界大日如来の種字「バン」、右上は「御府内第七十三番」、左下は「東覺寺印」。
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法号山 明王院 東覚寺 (ほうごうざん みょうおういん とうかくじ) | |
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本尊 | 大日如来 |
通称 | 亀戸不動 |
創建年代 | 享禄4年(1531) |
開山 | 玄覚法印 |
宗派 | 真言宗智山派 |
所在地 | 東京都江東区亀戸四丁目24-1 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | 迷いぬる六道衆生救わんと 尊き山に出ずる釈迦寺 |
メモ | かつては明王山東覚寺と号し、「盗難除け不動」「亀戸不動」として信仰を集めた不動明王を本尊としていた。今も門前に「大山同木同作 不動明王」の標石が立っている。この不動明王は、良弁僧正が雨降山大山寺(神奈川県伊勢原市の大山不動)の不動明王と同じ木から彫ったと伝えられる。 伝承によれば、開山の玄覚法印はこの地に草庵を結んでいた。享禄4年(1531)笈箱を背負った一人の僧が宿を求めて訪れたので、快く泊めた。翌朝、仏間に入ると屈強な男が呆然としており、声を掛けても何も言わなかった。不思議に思っていると、昨夜泊めた僧が現れ、この男は盗みに入ったのだが、笈箱に納めた不動明王の罰にあたり、口がきけなくなったのだと言った。そして、不動明王に祈願すると口がきけるようになったので、男は改心し、二度と盗みはしないと誓って立ち去った。 これを見た玄覚は、この尊像が盗難・剣難の守護仏であると聞き、衆生済度のために役立てたいと懇請して譲り受けた。そして、一宇を建立したのが東覚寺の始まりであるという。 明治43年(1910、資料によっては明治41年とも)深川(資料によって本村町とも猿江とも。『御府内八十八ヶ所大意』では本所猿江町)にあった御府内73番札所の法号山覚王寺を合併して現在の山号寺号に改めるとともに、御府内の札所も継承し、大日如来を本尊とした。 |
写寺 | 我拝師山 出釈迦寺 |
八十八ヶ所大意 | 法号山 花蔵院 覚王寺 本所猿江町 〈本尊〉大日尊 〈開山〉宗順法印 葛飾郡亀戸普門院末 |
亀戸不動の標石 | 弁才天堂 |
中央の墨書は「本尊大日如来」。中央の朱印は金剛界大日如来の種字「バン」、右上は「御府内第七十三番」、左下は「東覺寺印」。
2010.08.18
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