中央の文字は「如意輪観世音」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は如意輪観音の種字「キリーク」、右上は「弘法大師霊場御府内第八十七番」、左下は「護国寺印」。
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神齢山 悉地院 護国寺 (しんれいざん しっちいん ごこくじ) | |
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本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
創建年代 | 天和元年(1681) |
開山 | 亮賢僧正 |
宗派 | 真言宗豊山派大本山 |
所在地 | 東京都文京区大塚五丁目40−1 (Mapion/googlemap) |
御詠歌 | あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら み名を唱えよ |
メモ | 五代将軍・徳川綱吉がまだ館林の城主であった頃、その生母・桂昌院は碓氷八幡宮の別当・大聖護国寺の亮賢僧正に深く帰依していた。綱吉が将軍になると、桂昌院の発願により、高田薬園の地に堂宇を建立し、桂昌院の念持仏である天然琥珀如意輪観音像を本尊として安置した。そして、亮賢僧正を招いて開山とし、朱印地300石を賜ったたのが護国寺の起こりである。 現在の観音堂(本堂)は元禄10年(1697)に造営されたもので、綱吉は桂昌院に同行して度々参詣し、寺領も1200石に加増された。 また、この頃、筑波山知足院の隆光僧正は綱吉の帰依を受け、神田橋外に広大な別院を建立、筑波の本坊とともに護持院と改称して朱印地1500石を賜った。 享保2年(1717)神田橋の護持院が火災により焼失すると、幕命により護国寺と合併することになった。以来、観音堂を護国寺、本坊を護持院として、護持院の住職が護国寺の住職を兼帯することになった。両寺合わせて朱印地2700石で寺運は隆盛したが、明治の神仏分離により、護持院は廃寺となった。現在は豊山派の大本山で、宗務所がおかれている。 観音堂(本堂)は国の重要文化財。また、月光殿はもと三井寺の塔頭・日光院の客殿を移築したもので、同じく国の重要文化財である。 |
写寺 | 補陀洛山 長尾寺 |
文化財 | 〈重要文化財〉本堂 月光殿(旧園城寺日光院客殿) 絹本著色尊勝曼荼羅図 金銅五鈷鈴 絹本墨画漁夫図(張路筆・明代) 綸子地梅樹竹模様染繍振袖 諸寺縁起集 騎龍観音(原田直次郎筆) |
公式サイト | http://www.gokokuji.or.jp/ |
八十八ヶ所大意 | 神齢山 悉地院 護国寺 音羽町 〈本尊〉瑪瑙石如意輪観音 唐仏毘首羯磨御作 〈朱印地〉千二百石 ◇独礼 〈末寺〉24ヶ寺 護持院兼帯所 |
仁王門 | 不老門 |
大師堂 | 多宝塔 |
中央の文字は「如意輪観世音」、脇に「弘法大師」。中央の朱印は如意輪観音の種字「キリーク」、右上は「弘法大師霊場御府内第八十七番」、左下は「護国寺印」。
2010.12.01
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