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天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳
【略縁起】
延暦23年(804)弘法大師が聖観音を本尊として寺院を建立し、山頂から八ヶ国が望めることに因んで八国寺と名付けたのが始まりと伝えられる。この時、渡唐の無事を祈願するとともに、その成功を試みるために8個の焼き栗を埋めたという。
天長6年(829)唐より帰朝した大師は再度この山に登り、求聞持法を修した。満願の日、天から5振りの件が降り、蔵王権現が示現して託宣を降した。そこで大師は剣を山中に埋め、五剣山と名付けた。また、渡唐前に埋めた8個の焼き栗が芽吹き、生長していたことから、寺号を八栗寺に改めたという。
【納経印】
文字部分は印判で、「奉納経 サ(聖観音の種字)本尊正観音大悲殿 五劔山 八栗寺」。中央に宝印はない。右上の印は「八十五番」。左下は「五峯」で、現在のものとほぼ同じようである。
【所在地】
讃岐国三木郡牟礼村(香川県高松市牟礼町牟礼)
【本尊】
聖観世音菩薩
2013.10.06
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