古今宗教研究所 >古今御朱印研究室 > 昔の納経帳 > 天保11年(1840)四国八十八ヶ所の納経帳
天保11年(1840年)四国八十八ヶ所の納経帳
【略縁起】
日本武尊は東征の帰途、伊勢国能褒野において亡くなり、同地に葬られた。その神霊は白鳥と化して大和国琴弾原に、さらに河内国古市の邑に降り立ち、さらに西へ向かって飛び立ったと伝えられる。社伝によれば、西に向かった白鳥は、讃岐国大内郡鶴内の里に降りた。成務天皇の御代、天皇は兄弟である神櫛王を日本武尊の御子・武鼓王に従わせて讃岐国造に封じ、神陵を営ませた。仲哀天皇(日本武尊の御子)の御代には神籬を立てさせ、封戸を寄せた。さらに仁徳天皇の御代、讃岐国造に命じて祠を建てたという。
以来、盛衰はあったものの弓矢の神として武門の崇敬を受けた。高松藩主・松平頼重は社殿を修築するとともに社領200石を寄進し、さらに幕府の朱印地に改めた。
【納経印】
文字部分は印判で「御勅願所 讃岐国大内郡 白鳥大神宮 当番社家」。朱印はなく、左下に黒印のみあるが、判読できない。
【現名称】
白鳥神社
【所在地】
讃岐国大内郡松原村(香川県東かがわ市松原)
【御祭神】
日本武尊 〈相殿〉両道入姫命・橘姫命
2013.10.06
古今宗教研究所
Copyright(C) 1998-2016 Murakami Tetsuki. All rights reserved.